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雲形と仮小屋形の関わり方

福音朗読は Laudate | 教会カレンダー  (マタイ17章1~9節)

   本日の福音個所に、雲と仮小屋の二つのイメージが出てきます。聖書では雲は特別なしるしです。ちょうど天と地上の間にあって、神の存在を示すしるしだからです。旧約聖書では、雲はモーセと話し合う神のしるしであり、また約束の地への旅の途中、砂漠の中を先頭に立って導く神の存在のしるしです。

    雲と仮小屋が周囲に対する私たちの関わり方を表すとしましょう。雲の場合、最初は私たちと雲は別の存在ですが、そのうち私たちの存在と私たちが関心を寄せる物事は雲に包まれていきます。そして、私たちの家族から世界規模の出来事までが雲の中に入るのです。仮小屋の場合、内部を外界から遮断するために造られるので、中から締めてしまうと外からは入ることができないため、人は孤立します。外からのものを面倒くさがったり、邪魔ものとして扱ったりして、遠ざけているからです。

    神をはじめ、他者に対して、みなさんはどのような関わり方をしているのでしょうか。仮小屋、つまり中に閉じこもったままでしょうか。それとも雲なのでしょうか。つまり雲に包まれて、神と対話する関わり方なのでしょうか。 

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「あなたが祈る時」 

福音朗読は Laudate | 教会カレンダー  (マタイ6章1~6、16~18節)

   福音箇所に「あなたが祈る時」と書かれていますが、この表現について二つの指摘があります。一つ目は、「あなたが祈るなら」ではなく、「常に祈っているあなた」であってほしいこと、つまり、祈る姿勢は忠実であることが強調されています。二つ目は、定期的に行うこと。日常生活において時間を割いて祈ることです。しかし、祈りたいと思っている時こそ雑念が浮かんでくることが多く、それと闘うことでエネルギーを費してしまうのです。では、どうすればいいのでしょうか。

    雑念と闘って追い出すことに力を使うよりも、距離を置くことが大切です。雑念は必ずしも価値のないものではありませんが、祈りはより価値のあるものなので、祈りを優先させるからです。

   祈りとは、神との対話というよりも神のみ前で沈黙することです。語ることではなく、沈黙する、すなわち神のうちに心を沈ませる姿勢なのです。それによって、私たちが神に引き寄せられていきます。祈りの本質は、神に対する私たちの願いが聞き入れられるかどうかということよりも、私たちに対する神のみ旨の実現を願い、それを信頼することなのです。

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ただ今

泉佐野関西空港のそば)にある聖ザベリオ宣教会の本部です。

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「思い悩むな」

今から日本に帰ります。帰国する前に、イタリアから最後のメッセージをお伝えします。次は日本でお会いしましょう。

 

福音朗読は Laudate | 教会カレンダー

   本日の福音箇所を理解するために、時計と羅針盤の二つのイメージを使ってみましょう。私たちの生活は、時計に管理されていると言っても過言ではありません。時間に追われながら、様々な物事を考え、実行しているので、これを時計に縛られた暮らしと呼びます。

   では羅針盤はどうでしょうか。羅針盤は船乗りたちを目的地へ導くものです。私の立場で言い換えると、イエス様に導かれて生きることと言えるでしょう。例えば、福音の価値観に基づいて生きようとすると、それによって一貫した生活が成り立っていきます。

   最後に、皆さんに紹介したい祈りがあります。よく知られている祈りですが、最初の部分しか知られていません。今回、皆さんに全文を提供させていただきます。

 

「平安の祈り」
神様、どうか私にお与えください。
変えられないものを 受け入れる心の平安を
変えられるものを 変える勇気を
そして、その違いを見極める知恵を
与えられた一日を精一杯
生きることができるように
一瞬一瞬を 楽しむことができるように
苦しみは平安への通り道であることを
受け入れることができるように
たとえ自分の願いどおりにならなくても
主イエスがされたように この罪深い世界を
そのまま受け入れることができるように
もし あなたの御心にゆだねるなら
あなたが全てを正しく導いて下さることを
信じることができるように
そうすれば私はこの地上において
幸いな人生を送りまた天国においては
あなたと共にある最高の幸せに
与ることができるでしょう。アーメン

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「思い悩むな」

福音朗読

http://www.pauline.or.jp/calendariocappel…/…/a_ord08sun.php…

理性の愛 

福音朗読は Laudate | 教会カレンダー  (マタイ5章38~48節)

   私たちはしばしば、愛するということが自然発生的な感情の結果であると思っています。でもそうではないのです。本当の愛は、私がこの人に対してどうあるべきかということが愛なのです。つまり、努力の結果、生まれてくるのが本当の愛なのです。身近な例でいえば、姑と嫁の関係です。いやな姑を持つ嫁がいるとしましょう。そうすると、姑の顔も見たくないと思ったり、姑の使ったタオルに触るのもいやだと言って、二本の指でつまんだりします。

   しかし、もし姑が自分の母だとしたら、どうするでしょうか。このことから、理性で行動することが大切だということを学ぶでしょう。また反対に、いやな嫁がいたら、その嫁を特に好きにならなくてもいいのです。ただ、その嫁が好きであるのと同じように、理性的な行動をとるのです。例えば、病気になったら薬を持っていってあげるとか、寒かったら温かい衣服を買ってあげるとか、食欲がなかったら好きなものを食べさせてあげるということです。

   そのうち、ごく自然に、両者の間に意図的な愛を超えた自然な好意の流れが成り立つ関係が生まれるかもしれないのです。「理性の愛」とは、このような関係の源流であり、最後まで残る流れなのです。 

                    曽野綾子著 『現代に生きる聖書』参考。

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