道であるキリスト

福音朗読は Laudate | 教会カレンダー  (ヨハネ 14章1-12節)

   イエス様は「私は道である」と宣言されました。そして、使徒言行録によると、初代教会の人たちは「道に従う者」という名称を与えられ、「弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになったのである」と書かれています(使11章26節)。キリスト者は、キリストに従う者であり、キリストの道を歩んでいくという意味です。    

  「道」というイメージから、動きと過程の進行を思い浮かべることができます。歩みを進める上で、山もあり谷もあり、波風も立ち、また出発点と目的地の間にある空間と距離などもあるでしょう。キリスト教を信仰することは、理性をもってその教義に同意するより、まずその精神に心を打たれて、実践するように促されて、体を動かすことが大切です。つまり、信仰するにあたり、心も体も積極的に関わるようにすることなのです。 

  イエス様が「心を尽くし、精神をつくし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また隣人を自分のように愛しなさい」と、この宣言を通して聖書の教えと精神をまとまめられたのです。

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豊かな命と救い 

福音朗読は Laudate | 教会カレンダー  ヨハネ10章1~10節)

 

  「救い」という表現は、狭義では死にそうな状態から救助されるという意味ですが、広義では命が開花すること、しかも豊かになるという肯定的な見方があります。この視点から見ると、救いは豊かな命を意味し、この地上にいる間の贈り物であり、信仰生活の支えと捉えることができます。「私が来たのは、羊が命をうけるため、しかも、豊かにうけるためである」(10節)とあるように、命をさらに豊かに与えるというイエスさまのことばに現れています。

 

  ヨハネ福音書において、「命を得る」という表現は信じることとつながっています。最初は「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(316節)と書かれており、最後には「これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである。」(2031節)とあります。従って、神様がわたしたちのために望まれる幸せと豊かな命を信じ、味わい、実感する時、救いの体験と言えるのです。 

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悲しみの天使 

福音朗読は Laudate | 教会カレンダー

   わたしたちは、悲しみといえば、すぐになくなった人に関わる悲しみを思い浮かべます。それは、おそらく、人生の中で最も深刻な悲しみでしょう。悲しむことにおいて、わたしたちは意識的に、人の死はわたしたちの人生にももたらした喪失を向き合っていきます。わたしたちはその人と自分の関係をもう一度じっくり見つめ直します。わたしたちはその人と経験したすべてのこと、その人がわたしたちにとってどういう存在であったかということ、その人がわたしたちに与えてくれたことを思い起こします。何度も何度も、人間関係が壊れていくのを、人生が崩れていき、しゃがみこんでしまうことを経験しています。それで失望し、幻滅してしまいます。  

   悲しみの天使はあなたを悲しみから守れることができません。しかし、あなたは一人でその痛みを担っていくわけではありません。悲しみの天使があなたと一緒にいて、痛みと新しいいのちの力へと変えてくれるでしょう。おそらく悲しみの天使はあなたにある人を遣わすでしょう。その人は、あなたの悲しみの中であなたのそばにいて、理解し、あなたと共に感じ、そして何があなたの中で新しい可能性として始まろうとしているのかに気づかせてくれるでしょう。

 

            A.・グリユーン、「50の天使。1年の歩みのために」、

             キリスト新聞社、2007、109-112ページからの抜粋。

 

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わたしたちと双子のトマス

福音朗読は Laudate | 教会カレンダー

  

 トマスだけは、復活したイエスが来たとき、弟子たちと一緒にいませんでした。トマスは、

最後までイエスに従うという覚悟を果たせなかった自分に失望し、他の弟子たちにも失望し

ていました。「主を見た」という弟子たちからの知らせに対して、トマスは繰り返し傷跡の確

認を求めます。トマスにとって、弟子たちが見た主と十字架のイエスを同一視するために、傷

跡というつながりがなければ信じることができなかったのです。

 

 トマスは「ディディモ」と呼ばれていました。「ディディモ」は、「双子」という意味です。トマスは他の弟子たちに対して、頑固で閉鎖的な姿を見せていましたが、復活したイエスに出会い、その束縛から解放されて「わが主、わが神」と信仰告白を叫び出しました。

 

わたしたちにとって、トマスは「双子」ではありませんか。わたしたちの中には、「恐れ」や「疑い」という信仰と相反する気持ちが同時に存在しているからです。「恐れ」、すなわち鍵のかかったドアと「不信仰」、つまりトマスがあるからこそ、復活のイエスとの出会いが豊かないのちを育んでくれます。

 
F.レナト、「聖週間を生きる。毎日の黙想: 受難と復活節の人物とともに」、女子パウロ会、101-2。

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復活の曙光 

福音朗読は Laudate | 教会カレンダー (ヨハネ20章1~10節)

   マグダラのマリアが墓に行った時、あるものを発見しました。何を発見したのでしょうか。墓に入るほのかな希望すら与えなかった重い石が、取りのけられているのを見たのです。そして、イエス様の遺体が見当たらないことによって、彼女の心の中に何かが生まれています。かすかな光が見えるのです。

   マリアに告げられたペトロとヨハネも墓に走っていき、同じ空の墓に直面しています。遺体が盗まれたのでしょうか。それとも、イエス様の三回もの受難と死と復活の予告がその通りになったのでしょうか。ここでも、かすかな光が見えます。

   マグダラのマリアとペトロ、そしてヨハネは、それぞれがイエス様に対して抱いていた期待と失望が崩れ始めたのを感じたのです。週の初めの日、すなわち復活の日に、まだ暗いうちにかすかな光である曙光が見えるのです。

    私たちも、イエス様をはじめ、周りの人たちに対する勝手な思い込みや他人に対するあきらめの気持ちという重い石を取りのけましょう。復活の日、「まだ暗いうちに」太陽の曙光がその暗を貫いたように、私たちも日々出会う人、共に生活している人、相容れない人に対してぬくもりのまなざしで見ることができますように。

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受難の主日に当たって 

福音朗読は Laudate | 教会カレンダー

   受難物語の流れに沿って読み進めると、いくつかのコントラストが浮かんできます。例えば入城の場面で最も注目すべきことは、イエスが乗った動物です。それはロバです。ロバは荷物を運ぶ家畜で、労働を象徴しますが、同時に謙虚を表す動物もあります。一方、皇帝や王たちは「馬」や「馬車」に乗ります。馬は栄光や権威を表す動物だからです。

   もう一つの対照的な場面は、ピラトが群衆の前で手を洗うことに対して、イエス様は弟子たちの足を洗う場面があります。ピラトは、イエス様に対して一切の責任を取らずに、イエス様を群衆に渡します。一方、イエス様は弟子たちの足を洗うことによって、待ち受けている受難に自ら深く関わって命をかけていきます。

   受難物語に登場する人物は、ピラトと彼の妻、群衆、祭司長、律法学者たちと長老たち、百人隊長、またイエス様を裏切ったユダ、イエス様のことを否定したペトロ、イエス様に忠実に従ったマグダラのマリア、イエスの遺体を納めたアリマタヤのヨセフなど大勢います。これらの登場人物と自分を置き換えて、受難物語のイエス様に近づいてみましょう。

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あなたも出てきなさい

福音朗読は Laudate | 教会カレンダー  (ヨハネ11章1~45節)

   イエス様は墓に納められたラザロに、「ラザロ、出てきなさい」と大声で呼びかけています。ラザロとは異なり、私たちは命が与えられ、墓の中ではなく社会の中で暮らしていますが、このイエス様のことばは私たちにも向けられていると考えられます。

    私たちは人間関係において、閉塞感溢れる状態にいます。自己中心的考えや過去の嫉妬、怒り、憎しみなどが足かせとなり、人生の道を歩むことが出来ず、死んだ状態にいるのではないでしょうか。そのような過去の状態は、いのちを窒息させるものです。また、知らず知らずのうちに、他者に対する心遣いに鈍感になってしまっているかもしれません。

    イエス様が言った「ほどいてやって行かせなさい」とは、手と足を指していますが、心の奥底にある嫉妬や憎みなどを解放させるという解釈も可能なのではないでしょうか。私たちを束縛している感情を解放させると、周囲の物事に関心を持つようになり、周囲の人々を恐れることなく、つながりを持っていきます。つまり、出ていくことから出会いは芽生えるのです。

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