「知ってるつもりキリスト教」㉒ 日常用語になったキリスト教の言葉(1)

   * カリスマ

ギリシャ語で「神からのたまもの」を表しています。新約聖書では、聖霊を受けた異言や預言、また癒しの力などを示しています。ここから、他者より優れた能力を持つ人を指すようになったのです。

     * タレント

古代ギリシャの重量や通貨の単位「タラントン」が由来となっています。マタイ福音書25・14~30で、イエスは、ある人が僕の能力に応じてタラントンを預け、ある僕はタラントを増やし、別の僕は増さなかったというたとえ話を語りました。ここから、「能力」や「才能」を表す言葉として使用されるようになったのです。

    * グッバイ・バイバイ (Good bye, Bye bye)

語源は「神があなたと一緒にいますように(God be with you.)」です。現代では、「God bless you.(神のご加護がありますように)」の方が一般的な表現となっています。

    * 踏み絵

キリスト教を禁じた江戸幕府が作成した木製や銅製の板のことです。板にはキリストの十字架像やマリア像が刻まれており、キリスト教徒ではないことを証明する目的で人々に踏ませました。ここから、ある人の主義や思想などを試すことを指す言葉として用いられるようになったのです。

 

宮越俊光著 『早わかりキリスト教』(日本実業出版社、2005年)参照。

***写真はロペス神父(聖ザべリオ宣教会会員)の提供。

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「知ってるつもりキリスト教」㉑ 信仰生活の中心であるミサ  

   ミサは、ことばの典礼と感謝の典礼という二つの部分から構成されています。ことばの典礼では、福音書を含む特定の聖書箇所が朗読されます。司祭による説教では、聖書朗読に基づいて、信者が生活の中でどのように生きるかについて語られます。感謝の典礼は、最後の晩餐を記念するミサの核となる部分です。祭壇に運ばれたパンとぶどう酒の上に、司祭は感謝の祈りを唱え、キリストの体と血になるように祈ります。その後、信者はこのキリストの体と血を受けます。この体と血を受けることを、カトリックでは「聖体拝領」、プロテスタントでは「陪餐」と呼ぶのです。

   ミサは、キリスト教徒にとって信仰生活の中心となる祭儀です。カトリックでは、司祭がパンとぶどう酒に特別の祈りを唱えることによって、キリストの体と血に変わります。イエスは、自らの命をささげてすべての人へ救いをもたらしました。イエスの体である「聖体」を食べることによって、キリストの命を受け、キリストと信者との深い繋がりを体験するのです。

 宮越俊光著 『早わかりキリスト教』(日本実業出版社、2005年)参照。

***写真はロペス神父(聖ザべリオ宣教会会員)の提供。

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知ってるつもりキリスト教」⑳ 最後の晩餐の記念であるミサ

  初期の教会では、特定の名称はまだ定められていませんでしたが、使徒言行録2.42と46、そして20.7にある「パンを裂く」という言葉が最後の晩餐を記念する式の名称として用いられるようになりました。その後、ギリシャ語で「感謝」を意味することばなどが式の名称に用いられ、最終的に祭儀の終わりを告げるラテン語の「イテ・ミサ・エスト(行きなさい、解散です)」から取られた「ミサ」が、この集いの名称として一般的になったのです。

   ルネサンス期の巨匠レオナルド・ダ・ヴィンチの傑作『最後の晩餐』には、イエスが十字架上で処刑される前の食事の様子が描かれています(マルコ14.17~25、コリント信徒への手紙一11.23-26)。弟子たちと食事をともにしたイエスは、パンを「わたしの体である」、そしてぶどう酒を「わたしの血である」と言って彼らに与え、「わたしの記念としてこのように行いなさい」と弟子たちに命じたと伝えられています。

   このことばに従い、弟子たちはイエスの死後、たびたび集まり、イエスがしたようにパンを裂いて食べ、イエスの最後の晩餐を記念する祭儀を行うようになったのです。

 宮越俊光著 『早わかりキリスト教』(日本実業出版社、2005年)参照。

***写真はロペス神父(聖ザべリオ宣教会会員)の提供。

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「知ってるつもりキリスト教」⑲ 日曜日にはどのような意味があるのか

   「十戒」の第4の戒めは、「安息日は、聖別された日で仕事をしてはならない」というものです。この日は現在の土曜にあたり、律法によって休むように定められた日です。ユダヤ教の暦では日没から翌日になるので、実質は金曜日から始まります。

     初期のキリスト教徒も、初めはユダヤ教の習慣に従って安息日を守っていましたが、しだいにキリストが復活した週の初めの日、すなわち安息日の翌日である日曜日に独自の集会を持つようになりました。それは、最後の晩餐でイエスが行った行為を再現する儀式である現在のミサ(聖餐式)に当たるものです。イエスが最後の晩餐の席で「私の記念としてこのように行いなさい」と弟子たちに命じたことを忠実に守り、イエスのことを思い起こすために、週の初めの日に集まって式を行っていたのです。

     キリスト教では、イエスが復活した日に当たる曜日を「主日」と呼びます。主日キリスト教信仰の根幹をなすイエスの復活を毎週祝うことによって、キリスト教徒としてのアイデンティティを自覚し、他の信者との交わりを深めるのです。そして、それぞれが生活の中で福音の精神を実践するのです。

  宮越俊光著 『早わかりキリスト教』(日本実業出版社、2005年)参照。

***写真はロペス神父(聖ザべリオ宣教会会員)の提供。

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「知ってるつもりキリスト教」⑱ 復活祭とはどのような祭日か

   キリスト教の暦の中で、最も重要で盛大に祝われるのが復活祭です。イエスの生涯の最後の出来事、すなわちイエスの受難と死と復活を祝い、この一連の出来事を「主の過越(すぎこし)」と呼びます。イエスが最後の日々を送ったのは、ユダヤ教三大祭りの一つである過越の祭りの時でした。この祭りは、イスラエルの民が神によってエジプトでの奴隷状態から救われたことを記念したものです。祭りの名前である「過越」とは、エジプト人を滅ぼした神の使いが、イスラエルの民の前を「過ぎ越した」という出来事に由来しています(出エジプト記12章参照)。ユダヤ教の暦で新年に当たるニサンの月の14日に、イスラエルの人々は小羊をささげ、酵母の入っていないパンを食べて祝う習慣を守ってきました。

    一方、キリスト教では、自らの命をささげたキリストが新しい小羊になりました。神に復活させられたことによって、イエスが死に打ち勝ったことを盛大に祝うことが早くから始まりました。そして、ニサンの月の14日は毎年3月末から4月初旬に当たり、復活祭の日付は春分の日の後にやってくる満月の直後の日曜日と決められているのです。

 宮越俊光著 『早わかりキリスト教』(日本実業出版社、2005年)参照。

***写真はロペス神父(聖ザべリオ宣教会会員)の提供。

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「知ってるつもりキリスト教」⑰ 復活したイエスと弟子たちの変化

   イエスの死後、彼と行動を共にしていた弟子たちは、自分たちがイエスの弟子であることが知られるのを恐れて身を隠していました。しかし、複数の場所で彼らは復活したイエスに出会いました。この出来事によって弟子たちは力づけられ、彼らは「イエスは復活して生きている」と公然と告げ始めました。ユダヤ人に逮捕され、十字架上で殺されたイエスを見捨ててしまった弱い弟子たちですが、力強くイエスの復活を告げ始めたのです。

    イエスの弟子たちは、当時のユダヤ人が信じていた死者の復活についての伝統、すなわち終末において神に誠実に生きてきた人が復活させられるということに則り、自分たちが体験した出来事を理解しました。イエスの復活が終末より先に起こったのだと理解したのです。イエスの復活とは、歴史のただ中に終末の出来事が先に起こり、時間の中に永遠の命が割りこんできたということなのです。

 宮越俊光著 『早わかりキリスト教』(日本実業出版社、2005年)参照。

***写真はロペス神父(聖ザべリオ宣教会会員)の提供。

 

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「知ってるつもりキリスト教」⑯ 復活をどのように理解するか

   イエスの復活を理解するためには、当時のユダヤ人が信じていた死者の復活について知っておく必要があります。亡くなった人は、死者の国に下って終末の時までそこにとどまっています。そして、世の終わりが訪れると、神によって世界の秩序は正しくされ、すべての死者は裁かれ、誠実な信者を報いとして復活させられます。圧政に苦しみ、強国の支配下に置かれていた人々にとって、終末の時の復活こそが心のよりどころとなりました。神への信仰を失わずにいた者は、終わりの日の裁きの時に神によって復活させられ、神の国に迎えいれられるという希望によって支えられていたのです。

     イエスが復活した場面そのものは福音書に描かれていませんが、イエスの葬られた墓が空であったことは四つの福音書に共通しています。当然、墓が空であったことがイエスの復活を証明するとは言えません。福音書が復活への信仰を土台に書かれていることを考えれば、信仰を持つ者にとって空の墓はイエスの復活のしるしとなっているのです。

 宮越俊光著 『早わかりキリスト教』(日本実業出版社、2005年)参照。

***写真はロペス神父(聖ザべリオ宣教会会員)の提供。

 

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