聖書に登場するシンボル『動物』 おんどり

   おんどりは、すべての動物の中で一番早く暁を知らせるので、世界中の文学に大きな影響を及ぼしてきました。聖書の中でもシンボルの一つになっています。神秘的に考えれば、おんどりの声は、闇(罪と死)を追い出し、光(善と命)を起こすと思われていたので、悪から目覚める心と、死に対する勝利のシンボルにもなりました。

    また、皆があなたにつまずいても、わたしは決してつまずきません、と誓ったペトロはおんどりの鳴く前、つまりまだ夜のうちに、イエスのことなど知らないと三度も裏切りました(マタイ26・69~75)。すると、すぐ鶏が鳴いて、ペトロは自分の弱さに目覚め、胸を打って激しく泣き出しました。ペトロの像と絵にもおんどりがよく付いています。

    初代教会の信者の墓石に、おんどりの絵が彫ってあるのを見かけますが、それは死に対する復活のシンボルです。ヨーロッパの教会で塔のてっぺんに立っているおんどりは風見の役をすると同時に「いつも目を覚ましているように」、そして、「キリストの光の告知者としての役目を果たすように」とわたしたちを促しているのです。

 M.クリスチャン 『聖書のシンボル50』オリエンス宗教研究所 参照。
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聖書に登場するシンボル『動物』 豚

     ユダヤ教では「けがれ」を大変に嫌います。そのけがれの中には、罪の結果がもたらした道徳的なけがればかりではなく、衛生的なけがれも含まれています。たとえば、ある動物はけがれたものだから、その肉を食べてはならないといった具合です。ユダヤ教の社会では、異邦人もまたけがれたものと見なし、彼らとの交際を避けなければなりませんでした。

     旧約聖書レビ記にはけがれについての多くの規定がこと細かく書いてあります。中でも豚が一番けがれた動物として扱われています(レビ記11・7)今でもユダヤ人と、その伝統を受け継いだイスラム教徒は、絶対に豚肉を食べません。

      新約聖書の中にも豚の話はたびたび出てきます。ルカ15・15には父親から分けてもらった財産を放蕩の限りを尽くして使い果たし、明日の食べ物にも事欠いた息子が身を寄せた先では「彼を畑にやって豚の世話をさせた」とあります。息子が困窮の極みでありつけた仕事が、けがれた豚の飼育だったのです。マタイ8・31では、人に入っていた悪魔たちがイエスのところにやってきて「我々を追い出すのなら、あの豚の中にやってくれ」と、はるかかなたで餌をあさっている多くの豚の群れを指しました。豚は悪魔と同じぐらいけがれたものと見なされていたことが分かります。

 M.クリスチャン 『聖書のシンボル50』オリエンス宗教研究所 参照。
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聖書に登場するシンボル『動物』 山羊

   聖書には、たびたび山羊の話が出てきます。大抵の羊飼いは、羊と共に山羊を飼っていました。彼らにとって山羊は大切な動物でした。乳はとても栄養価が高くてチーズづくりに適していましたし、その毛は天幕の材料でした。雨が触降ると、テントの毛は防水の役をするそうです。

    山羊は羊より性質が荒く、餌も違いました。羊は牧草が好きですが、山羊は木の葉や雑草などを好んで食べました。また、よく喧嘩をしましたし、逃げ出しもしました。このようなことがあるので、時には羊と山羊を分ける必要がありました。これが、マタイ福音書25・31~33の背景です。「人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、 羊を右に、山羊を左に置く。」

    古代ユダヤには、贖罪(しょくざい)の日に一匹の山羊を荒れ野に連れ出す習慣がありました。レビ記16・8には祭司長アロンが贖罪の日に雄山羊の頭に手を置いて、象徴的にユダヤ人に罪をその山羊に負わせて、荒れ野を放しました。こうしてイスラエル人のすべての罪が、年一回消されたと考えてきました。山羊は英語で「scape goatスケープゴート」といます。この言葉は日本語になっていて、「他人の罪を負う身代わり」の意味に使われています。皆が悪いのに一人だけに罪を負わせれることを、「その人をスケープゴートにした」と言います。 

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聖書に登場するシンボル『動物』 鳩

     創世記8・11に鳩は出てきます。地上を覆っていた洪水が引き始めると、ノアは鳩を放して、地の面から水がひいたかどうかを確かめようとしました。一回目は鳩が止まるところがなくて箱舟のノアのもとに帰ってきました。二回目に鳩はくちばしにオリーブの葉をくわえて、ノアのもとに戻り、これでノアは水が地上から引いたことを知ったのです。三回目に鳩を放すと、もう鳩は帰ってきませんでした。ノアは主のために祭壇を築いて捧げ物を焼き尽くし、神はなだめの香りをかいで、二度と人に対して大地を呪うことはすまいと言われ、ここに神と人間との間の和解が成り立ちました。それによってオリーブの葉をくわえた鳩が平和のシンボルになっています。

      新約聖書の中でも、鳩はとても大切なシンボルです。マタイ3・16-17にイエスは洗礼を受けた場面の中で、神の霊が鳩のようにイエスの上に下って来ました。その時『これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者』という声が天から聞こえた」とあります。


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聖書に登場するシンボル」『動物』 蛇

 

   昔から蛇はあらゆる動物の中で、一番気味の悪いものと思われています。穴や草むらの中からぬるっと出てくる姿は、あたかも黄泉(よみ)から現れてきたかのようです。表皮が古くなると表皮全体を裏返して脱皮するため、蛇は「復活と癒し」のシンボルでもあるのです。この意味から、今日まで蛇は医学のシンボルとなって、ヨーロッパの薬局の看板にかかっています。

    蛇は聖書の中で大きな役割を果たしています。創世記3・1で「主なる神が造られた野の生き物のうちで、最も賢いのは蛇であった」とあります。民数記21・4~9の中で荒れ野の苦しみに耐え切れなくなったイスラエルの民は、神とモーセに逆らってこう言いました「荒れ野で死なせるためですか。こんな粗末な食物では、気力もうせてしまいます」。すると神は、民に向かって炎の蛇を送られた。炎の蛇は民をかんで、イスラエルの民の中から多くの死者が出たので、民はモーセのもとに来て、非難したことを反省し、「主に祈って、私たちから蛇を取り除いてください」と頼みます。神の仰せに従って、モーセは青銅の蛇を造り、それを旗竿の先に掲げました。それから民は蛇にかまれても、青銅の蛇を仰げば命が助かりました。イエスご自身もニコデモにこう語っています「モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられなければならない。それは信じる人が皆、人の子によって永遠の生命を得るためである」(ヨハネ3.14-15)。聖書の中で善と悪のシンボルであった蛇は結局「善と悪の両方」のシンボルであります。

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聖書に登場するシンボル」『動物』 鷲

  あらゆる宗教と文化の中で、鷲(わし)はさまざまな象徴的な意味を持たされています。ライオンが地上にいる獣の王で地のシンボルであるのなら、空高く天翔(あまがけ)る鷲は、天のシンボルなのです。今日でも国の紋章に鷲が使われることがあります。アメリカ合衆国がその例です。

   聖書の中でも鷲は大切な鳥です。イザヤ40.31に「主に望みをおく人は新たな力を得、鷲のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない」とあります。当時の伝説によると、鷲は雛に特別の配慮をし、危険だと思えば雛たちを翼に乗せて飛びましたし、巣の上を旋回して敵の攻撃から雛を守りました。申命記32・11に「鷲は巣を揺り動かし、雛の上を飛びかけり、羽を広げて捕らえ、翼に乗せて運ぶように」とあります。それと同じように、神様はわたしたちを愛して世話をしてくださいます。

  鷲は福音史家ヨハネのシンボルにもなっています。それはヨハネによる福音書の初めのみことばが神の玉座まで昇っている鷲のように見えるからです。ヨーロッパの聖堂ではヨハネのシンボルとして、鷲の絵や彫刻がよく目につきます。大聖堂の朗読台も鷲をかたどっていて、ちょうど鷲の両翼の上に聖書を広げて、そこから聖書を読む格好になっています。

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「聖書に登場するシンボル」『数字』 「十」

    「十」は人間の指の数です。原始人は自分の手の指で、ものの数を数えたのでしょう。昔から「十」は、十進法の基本でありました。

   創世記14・20にアブラハムはすべての物の十分の一をいと高き神の祭司サレムの王メルキゼデクに贈ったと書かれています。ヘブライの民を奴隷から解放するよう、ファラオを威嚇するために、エジプトに十の災いを送り込んだのち(出エジプト記7・1‐11)、神はシナイ山の頂でモーセ十戒を与えた(出エジプト記20・1‐17)。またレビ記27・30にはイスラエルの土地から取られる収穫量の十分の一は穀物であっても果実で会っても家畜であっても、主にささげるという決まりが載っています。
 新約聖書では、花婿を持つ十人のおとめのたとえ話(マタイ25・1‐13)や、イエスが十人の思い皮膚病を患っている人を癒した奇跡(ルカ17・11‐19)が記されています。

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