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「わたしを見た者は、父を見たのだ」(ヨハネ14章9節b)

 目で見えない神が、キリストによって目で見えるようになりました。これは受肉の神秘であって、イエス・キリストが神の啓示なのです。福音書での「イエスを見る」とは単なる視覚経験ではなく、限定された条件、場所、時間を超えた、人生において何回も行われるキリストとの出会いの体験を意味しています。

キリストが神の啓示であるように、キリスト者はキリストの啓示だと言って過言ではありません。世界に広がる諸共同体のなかで助け合う信者を見ることは、目で見えない神の愛の写しを見ることです。日曜日のミサは、キリストとの出会いを体験する時間、場所であると同時にキリストを見せる場所、時間、集まりではないでしょうか。

キリスト教を何も知らない人にとって、一人一人の信者の生き方や態度には、キリストの姿、その心の一部分が映っています。目で見えない神を信じること、キリスト者の価値観、生き方に基づいて証しすることによって、神の愛、ゆるし、希望が見えるようになるでしょう。

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