糧としての信仰(ヨハネ6章51-58節)

福音朗読は、下記の女子パウロ会 “Laudate”のページでご覧ください。http://pauline.or.jp/calendariocappella/cycleA/a_eucarestia.php#gospel 

 食べることは呼吸することと同じように、生きていくために必要なことです。しかし、それだけでは人間として生きるために足りません。

   人間として生きるための食べ物、あるいは糧というのは、人生の意味や生きがいになります。たしかに体を養う糧(栄養)は、生物としての人間にとって欠かせないもので、健康をもたらし、生きていくために必要なものです。けれども、わたしたち人間はそれだけで満たされるのではなく、価値のあるものや生きる喜び、そして生きがいなどを求めています。

    わたしたちには、人としての尊厳を保つための糧も必要です。例えば他者に承認され、大切にされることが本人にとって、心の支えと栄養になります。体のための糧があれば、心のための糧もあります。

     信仰者にとって、糧としての信仰は日常生活を支えるものです。食べることが日々の命を新たにするように、信仰することも人生の意味や目的を日々確認させてくれます。信仰という糧こそわたしたちを本当に生かしてくれる糧なのです。

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