人生に隠れている宝にめぐりあうとき  (マタイ13章44~52節参照)

福音朗読は、下記の女子パウロ会 “Laudate”のページでご覧ください。

http://www.pauline.or.jp/calendariocappella/cycleA/a_ord17sun.php#gospel

 

提供されている二つのたとえ話のポイントは、偶然に発見した宝がある畑と高級な真珠を買うために、喜んで決心するという点です。二人の人物にとっては、かけがえのない発見をしたから、すべての持ち物を売るほどの見逃せない、大きなチャンスなのです。

人生という畑にいくつかの宝が隠れていると思います。その宝とは有意義な出会い(人、本、出来事などとの)や自分にとっての人生の転機などです。自分を驚かせる発見や気づきをしたとき、そのチャンスをつかみ、それを核にして、自分自身の人生を形成することです。全部の持ち物を売り払ってでも、後悔はないほど、価値のある発見ですから。

人生において根本的な選び取りを行うために、その他のことを失う悲しみより、その選びのうちに溢れる喜びを想像してみましょう。ただし、まず自分にとって宝、高価な真珠とはどういうものなのかという自問に答えなければなりません。あなたはどう答えますか。