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キリスト教は常識でも非常識でもない

 キリスト教を理解することにおいて、相反する視点があります。まず、キリスト教の精神は優れた常識であるというとらえ方。互いに愛し合うことによって、スムーズに暮らせるようになるからです。しかし、困っている人に手を差し伸べるだけなら、キリスト教は博愛団体に過ぎません。もう一つのとらえ方は、キリスト教の愛は理不尽で非常識極まりないものだというとらえ方です。有名な教えの一つに、キリスト教の「敵を愛しなさい」というものがあります。もしかするとみなさんもそのように考えたことがあるかもしれません。

 この二つの解釈には、共通点があります。それはどちらもキリスト教の教えと実生活を切り離していることです。信仰をもつという人生における重大な決断は、自分の実生活への挑戦です。ただ、利己心を捨ててイエス様に従って生きることは、入信するための条件ではなく目的です。しかも、洗礼は信仰の歩みの始まりにすぎず、信仰とは一生をかけて積み上げていく努めなのです。日々出会う人々との関係によって試され、少しずつキリスト教の精神の要請に応えていく、つまり、信仰というのは常識でも非常識でもなく、常識を超える選択をすることなのです。

 

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