「今や、恵みの時、今こそ、救いの日」

 ( IIコリント6章2節参照)

   新約聖書では「時」を表す二つの言葉があります。一つは「過ぎゆく時間とその年月」、もう一つは「機会」という言葉です。後者を信仰の目で見ると、時間には「恵みの訪れの」という意味が生まれてきます。ですから、過ぎ行く時間の中でも、機会として、恵みの時が訪れるのです。 

     イエス様にとってわたしたち一人ひとりは、見捨てることができない大切な存在です。イエス様は、根気強く私たちを見守り、人生の道にまよったとき私たちの帰りを時間をかけて待っていてくださる方です。しかも人間の自由を尊重されるイエス様は、その呼びかけを拒否したり無視したりしてきた私たちに、ご自分の望みを押し付けることもなさらないのです。

    イエス様が望まれていることがもう一つあります。それは、私たちが日々共に生活している人たちと、互いに寛容な態度で愛と赦しをもって関わることです。互いに希望を持って、何回も機会を与え合いましょう。そもそも、私たち一人ひとりはイエス様から何回も機会が与えられ、忍耐強く、見守られているのですから。

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