王であるキリスト*の声 (ヨハネ18章33b~37節)

福音箇所は Laudate | 教会カレンダー

   王の声は、「命令」を意味します。脅迫を感じさせる恐ろしい声です。また、生死を決定する声でもあります。ピラトの「わたしに答えないのか。お前を釈放する権限も、十字架につける権限も、このわたしにあることを知らないのか。」という言葉を思い出してみてください(ヨハネ19・1)。

   一方、イエスの声は自ら命を捧げる声です。「だれもわたしから命を奪い取ることはできない。わたしは自分でそれを捨てる。わたしは命を捨てることもでき、それを再び受けることもできる。」(ヨハネ10・18)や「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる。」(ルカ23・42~43)という言葉から、イエスの声が命を脅かすどころか、生きる希望を与える声であることを実感することができるでしょう。    

* カトリック典礼暦では、11月22日は「王であるキリスト」の祭日です。この祭日は、1925年に教皇ピオ11世が「王であるキリスト」の祝日と定めたものです。ドイツではヒトラー、イタリアではムッソリーニソビエトではスターリンが独裁体制を固めている時代でした。

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