待降節*を生きる 

   「待つことは、人に良い緊張感をもたらします。待つ人は、時間をもてあましたり、退屈したり、死んだようには過ごしません。待っている人は、一つの目標に向かっています。待つことの目的は、わたしたちの受肉、自分自身となること、神とわたしたちが一つになることの祝祭です。しかし、わたしたちだけが待つのではなく、神もわたしたちも待っておられるのです。神は、わたしたちが命や愛のために自分を開くのを待っておられるのです。(中略)

    待つことは、わたしたちのうちに二つのことを引き起こします。一つは、まなざしを広くすることであり、もう一つは、少しの間、わたしたちがいま経験していることや人と話していることに注意深くあることです。待つことは、こころを広くするということです。

   待っているとき、わたしは何かが欠けていると感じます。彼氏や彼女を待っているとき、待ち合わせの時間を確認するために一分おきに時計を見ます。待つことにおいてわたしたちは、自分のこころを動かす人、こころを高鳴らせる人、わたしたちのあこがれを満たす人へ思いをはせます。」

A. グリューン、「クリスマスの黙想―新しい始まりを祝う」、キリスト新聞社、19 項

 * 教会は、待降節をキリストが誕生された日、クリスマスを待ち望み準備する期間として過ごします。今年は11月29日から。

詳細は女子パウロ会の Laudate | キリスト教マメ知識 までご覧ください。

今年のクリスマス・ツリー(23メートロ)はドイツから提供されました。

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