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報われるか受け入れられるか

福音朗読は Laudate | 教会カレンダー (ルカ7章36~8章3節)

   シモンと他のファリサイ派の人たちは、あることをすると、報いを得ることができると考えがちです。そのため、律法で定められた決まりに従い、多くを愛し、多くのことをすれば、それだけで多く報われ、多くを返してもらえるという思い込みを持っています。もしかすると、私たちも神に対して報いを求め、何か期待しているのではないでしょうか。厳しいことを言いますが、本来神との関係は愛の関係であるはずですが、これでは神と取引していると言った方が良いのではないでしょうか。 

   さて、イエス様は「この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。」とシモンに宣言します。これは、女が愛を示したがゆえに「赦される」という結果ではなく、イエス様が「赦すこと」で愛が生まれてくることを意味しています。ありのままの姿で神の憐れみに自分を任せる時、神は人を変えてくださいます。つまり、神のゆるしや神の恵み、すなわち神の愛というものが与えられて、初めて私たちは愛することが出来るようになり、心から人のために仕えることができるようになるのです。

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