見つけるまで

 福音朗読は Laudate | 教会カレンダー (ルカ15章1~32節)

  私たちは神に愛され、しかも神が一人ひとりに慈しみを注いでくださいます。失敗した時や孤独に陥った時、神の愛を体験していることに気付くことでしょう。それは、自分に勇気や希望を与えることになります。

    「回心する」や「悔い改める」というのは、迷っている私たちを探しに来てくださった神を受け入れることです。どんな失敗を犯したとしても、どんなに神に背いても、神は人間を忘れることが決してできないので、私たちを見つけるまで必死に探してくださるのです。     

    洗礼を受けてキリストに従う者になることは、それ以降は迷子になることはないという条件が伴うものではありません。洗礼を受けても、人生の道に度々迷うことがあるからこそ、探し求めている神があらわれて迎え入れてくださるのです。「罰則を恐れているから掟を守る」というような信仰ではなく、天の父が迷子になった私たちを、必死に探し出してくださることに感謝するという信仰なのです。

      注 フランシスコ会訳のルカ15章の注1によると、「『あわれみの福音』と呼ばれる15章には神のあわれみに関するたとえ話が三つ、すなわち『見失った羊』(4~7節)と『なくした銀貨』(8~10節)と『放蕩息子』(11~32節)とがある」と書かれています。ルカ15章は、慈しみである神が中心です。これは福音全体の核となるメッセージです。

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