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他者を見下し他者にならう 

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福音箇所は  Laudate | 教会カレンダー  (ルカ18章9~14節)

   ファリサイ派の人は、端から見れば立派な修行の報告をしていますが、自分と神との間に、他人を意図的に置いています。その人と自分を比較して、いかに自分が素晴らしいかを誇張しているのです。これに対し、徴税人は神に自分の全てをさらけだしています。他人との比較も弁解もしません。たとえ話に書かれているように、祈り方によって自分の生き方と心構えを表すことができるのです。 

   私たちは、他人と比較して自分を高く見せようとして、意図的にあるいは無意識に発言していることがあります。人間は、人と比較しながら生きていくのです。それは幼少のころから始まります。兄弟姉妹、親戚、学校の友達や仲間、また教会や職場で関わる多くの人との間で、比較が生涯続いていくのです。

    福音書に出てくるファリサイ派の人は、自分が正しく真面目な人間であるとだけ祈る、あるいは徴税人の姿を見て、それを見習えばよかったのです。私たちは、言葉をはじめ考えや態度を通して、相手を見下すこともあるかもしれません。しかし、相手を見る時に、自身の向上のためにならうことも多いのではないでしょうか。