「貧しい」人は幸い

福音朗読は Laudate | 教会カレンダー  

 

   「心の貧しい」は明治以降の伝統的な日本語訳ですが、ほとんど誤訳と言わざるをえません。「心が貧しい」という日本語は「精神的貧困」を意味しますが、ここではそういう意味ではないからです。直訳は「霊に貧しい」で、「神の前に貧しい」という意味に受け取るのがよいと考えられます。マタイは決して物質的な貧しさを無視しているのではなく、物質的な面だけでなく、神の前にどうしようもなく欠乏し、飢え渇いている人間の姿を示そうとしているのです。なお、フランシスコ会訳聖書は「自分の貧しさを知る人」と訳し、新共同訳ができる前の共同訳聖書は「ただ神により頼む人」と訳しています。どちらもかなり大胆な意訳ですが、参考になります。


    マタイの後半の4つの幸いは、貧しいだけでなく、その中でもっと前向きに生きようとする人々の姿を表しています。それは「憐れみ深い」「心の清い」「平和を実現する」「義のために迫害される」という生き方です。「八つの幸い」というマタイの形はもはや単なる祝福ではなく、その祝福の中を生きるとは具体的にどういうことかということをも示しているのです。そういう観点から「八つの幸い」全体が整えられていったと考えることができるでしょうし、「八つの幸い」全体を受け取ることは、わたしたちにとっても大切なことです。

                      年間第4主日「福音のヒント」より

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