見ようとしないこと

福音朗読は Laudate | 教会カレンダー  ヨハネ9章 1-41節

  「今日の福音書に出てくる目の見えない人も、まさにそうでした。通りすがりに聞こえよがしに口にされた「この人が生まれつき目が見えないのは誰が罪を犯したからですか?」という質問や、のちにファリサイ派の人々との問答の中で投げつけられた「お前は全く罪の中に生まれたのに、我々に教えようというのか」という心無い言葉が、彼が長い間周囲からどのように見られどのように扱われていたのかを端的に伝えてくれます。その人の生まれつきの障害が癒された後でさえ、その周囲にあったのは、喜びや祝いの雰囲気ではなく、とがめと恐れの渦でした。彼の両親ですら、我が子の長年の苦しみからの解放を喜ぶ前に、時の権力者からの不興を恐れたのです。

    見ようとしない人、見たいと望まない人には、こんなに明らかな神の愛の奇跡が見えず、神の喜びのメッセージが聞こえないのだと、思い知らされます。今も世界中の思いがけないところで日々刻々行われている神の愛の業をしっかり見る恵みと、いかなる困難も神の業が行われるチャンスであると信じてその愛の業に協力していく恵みを、今日、改めて願いたいと思います。苦しい状況のただ中にある、あの人この人を思い浮かべながら。」

              黙想のヒントより(http://seseragi-sc.jp/xe/346495

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