正しく生きる、正しく語る 

福音朗読は   Laudate | 教会カレンダー(マタイ23章1~12節)

   神の証し人となるということは、この世界に神がおられることの生けるしるしとなることです。どのような生活をしているかということのほうが、どんなことを話しているかということよいも大切です。というのも、本物の生き方は、常に本物の話し方に繋がるからです。隣人を心から許すとき、私たちの心は許しの言葉を語るでしょう。感謝の思いに溢れるとき、感謝の言葉が語られ、期待と喜びに溢れるとき、期待と喜びの言葉が語られるでしょう。

    言葉が時期尚早に語られても、その言葉の通りに行っていないなら、私たちは二重のメッセージを伝えかねません。言葉と行いがちぐはぐなままかたるこき、私たちはその二重のメッセージによって偽善者となってしまうでしょう。私たちの生き方が本物の言葉を私たちに語らせ、言葉が私たちを本物の生き方へと導きますように。

 

                        H.ナウエン、「今日のパン、明日の糧」、聖公会出版、2003年、218項

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