「目覚める」と霊性

福音箇所は Laudate | 教会カレンダー

   2000年頃からスピリチュアル・ブームが起こり、それに関連するグッズや書籍が店頭に並ぶようになりました。それらを購入する人の多くは、霊的なものにすがろうとしており、夢中になっている人が後を絶ちません。「霊性」という言葉をご存知でしょうか。これは「目覚めること」を意味し、一般的な「スピリチュアル」とは少し違います。「霊性」とは、日常生活に存在する物事を通して気づき、神秘的な体験ができることなのです。この視点から考えてみると、ほとんどの人は「眠っている」と言っても過言ではありません。人々は「眠っている間」に大人になり、結婚し、子どもを育て、そしてそのまま死んでいきます。人間の存在を意識することなく、自身の人生やその美しさを理解していないのです。ここで、一つの物語を紹介しましょう。

    ある人がワシの卵を見つけ、それをめんどりの巣の中に入れた。 ワシはニワトリの雛とともに孵化し、成長した。ワシは自分がニワトリであると思い、ニワトリの雛がするのと同じようにした。ミミズや昆虫を捕まえるために、地面をかいた。ワシなのに、「コッコッ」と鳴いた。羽をばたつかせ、数十センチ飛んだ。年月が過ぎ、ワシは年をとった。ある日、雲のない空に壮大な鳥が飛んでいるのを見た。強風の中、力強い黄金の翼を激しく動かすこともなく、優雅で威厳ある姿で滑空していた。年老いたワシは畏敬の念を持って見上げていた。「あれは誰?」とワシは尋ねた。隣にいたニワトリは、「鳥の王であるワシです。ワシは空の住人です。私たちは地上の住人です。なぜならニワトリだからです。」ワシはニワトリとして生き、死んでいった。自分のことをニワトリだと思っていたからだった。

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