神に愛されている子ども

     私たちの短い生涯の間、その行動の大部分を方向づけるのは、「自分は何者か」という問いでしょう。日々の小さいな決断の中で、その問いをきわめて具体的にいきていると言えます。その問いに対して三つの答え方をしています。口で言わなくても、そう生きています。その答えとは「自分とは、自分の行ったことだ」「自分とは、他人からどう見られているかだ」「自分とは、自分の所有しているものだ」という答えです。言い換えれば「自分とは成功のこと、人気のこと、権力のことだ」となります。

     成功、人の歓心、権力に左右される人生はもろい、と悟ることはとても大切です。なぜかというとこの三つはいずれも、自分でコントロールすることの困難な、外的要因だからです。成功や人気や権力に頼るなら、私たちは自分をこの世に売り渡していることになります。

    イエスは、成功、人の歓心、権力に基づいた自己は偽の自己、幻想だと伝えるために、この世に来てくださいました。大声ではっきりとイエスはこう語られました。「この世が与えるあなたの姿は本物ではありません。あなたの真の姿は、あなたが神の子どもだということにあります」

 H.M. ナーウエン、「いま、ここに生きる、生活の中の霊性」、あめんどう、202-3.

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