イエスに出会った人々⑱ パウロ(フィリピ1章21-26節)

お手持ちの聖書で該当箇所を読んでいただくか、

http://www.bible.or.jp/read/vers_search.html を検索してください。

 

  パウロのキリストへの愛と熱望、そしてフィリピの教会への愛と心構えは、彼にとって心臓の鼓動のようなものであり、命そのものです。死ぬことによってキリストと共になる一方で、生きることによって共同体の信仰を深めさせ、喜びをもたらすことができます。愛は、愛を受ける側が中心です。どれほど相手を愛し、どのように愛しているかが重要です。パウロは「どちらを選ぶべきか」という切迫した状態になるほど、キリストとフィリピの教会への愛で燃え、駆り立てられているのです。

    パウロと同じように、キリストに従う者の使命もそうです。洗礼を受けることによって固有の使命、つまり自分が置かれているところで周りの人々に福音を伝え、証しすることを果たしていきます。

    パウロは「生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。」(ガラテヤ2章20節)と宣言するほど、自分とキリストを同一視したのです。

 ***写真とことばはロペス神父(聖ザべリオ宣教会会員)の提供です。

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