「知ってるつもりキリスト教」②  聖書:信仰の書   

 

    キリスト教徒にとって、聖書は神の言葉であり、何よりも大切な信仰の規範です。そして、歴史を忠実に書き記すという意図で書かれた記録ではありません。聖書を読む時にまず念頭に置くべきことは、聖書は信仰者の立場で書かれた「信仰の書」だという点です。もちろん、歴史的な記述の中には史実と重なることも含まれています。

   しかし、聖書はそうした歴史的事実を伝えることを第一の目的とした書物ではありません。聖書は、唯一の神に対する信仰を持った人々が、いわば信仰告白のようなものとして著したものと言えます。つまり、何よりも信仰が前提となって書かれたものなのです。このことを忘れてしまうと、聖書の不思議な記述から、単なるおとぎ話や神話のように受け取られてしまうのです。聖書は、神との関係をはじめ、人間の生と死、心の働き、罪と悪の謎を解明しようという意図で編集されています。天地の構造を説明するのではなく、天国への道を示しているのです。

 宮越俊光著 『早わかりキリスト教』(日本実業出版社、2005年)参照

 ***写真はロペス神父(聖ザべリオ宣教会会員)の提供です。

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