イエスの祈りを伝える福音書では、神に「父よ」と呼びかけて祈るイエスの姿が描かれています(マタイ6・9、ルカ10・21参照)。しかし、聖書に書かれた祈りにおいて、「父よ」の呼びかけで始まるものはありません。この表現は、イエスが用いる祈りの一つの大きな特徴です。
「父」という言葉は、私たちにあらゆることを思い起こさせます。おそらく、一人一人が自分と生物学上の父親との関係を振りかえるでしょう。その関係は、「素晴らしい」や「そこそこ」、そして「複雑」などではないでしょうか。
一般的に、父は子どもを守り、養う存在です。普段はどんなに怖くても、父に抱きかかえてもらうと子どもは安心感を得ます。なぜなら、父の存在は子どもにとって頼ることの出来る拠り所だからです。
さらに、あまり考えていないことですが、私たちが「父」と呼ぶように、私たちを「子」と呼んでくれる人が必要です。私たちが子どもと呼ばれる理由は、先に父が「愛する子よ」と呼びかけたからです。従って、「父」は第一の言葉ではなく第二の言葉です。これがイエスのもたらしてくださった新さです。それは神が一人一人を「わが子」と呼ぶことなのです。
宮越俊光著 『早わかりキリスト教』(日本実業出版社、2005年)参照
***写真はロペス神父(聖ザべリオ宣教会会員)の提供