「知ってるつもりキリスト教」㉘  マリアはどのように位置づけられるか?

   カトリック教会は、伝統的にイエスの母マリアヘの崇敬を続けてきました。中世にはマリアヘの信心や崇敬が過剰になり、唯一の神への信仰、そしてイエス・キリストヘの信仰という本来の姿から離れてしまう傾向もありました。本来、キリストに対して示すべき崇敬以上に、人々はマリアに対して熱心に祈るようになり、あたかもマリアが神の特別な恵みを受けた「女神」であるかのように崇めるようになってしまいました。人々はマリアに取り次ぎを祈り、マリアに対して祈ることがキリストと同等、あるいはそれ以上の効果があると考えていたこともあったのです。

    しかし、マリアが神に対する信仰を生涯保ち、従順に生きたことは否定できません。神の子を産むことを告げられた有名な受胎告知の際も、神への信仰に基づいてそれを受け入れています。また、イエスを産んだ後もイエスとともに行動し、宣教活動を見守り、十字架上で死を迎えるときもイエスと苦しみをともにしました。受胎告知のときのマリアの承諾なしに、イエスが生まれることはありませんでした。このマリアの承諾の土台となる純粋な信仰こそが、すべてのキリスト教徒が持つべき最も優れた信仰のかたちなのです。

 宮越俊光著 『早わかりキリスト教』(日本実業出版社、2005年)参照。

***写真は高木淳さんの提供。

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