「知ってるつもりキリスト教」㉙ 科学とキリスト教は相容れないものか?  

  地球を中心にその他の天体が地球の周りを回っているという天動説が信じられていた時代に、ガリレオ・ガリレイコペルニクスと同様に地動説を主張しました。神が定めたとされる天動説の批判を受けて、カトリック教会はガリレイに対して1616年と33年の2度にわたって異端審問を行いました。そして、地動説は異端であることを決議し、ガリレイには地動説の放棄が強要されました。また、コペルニクスの著書も禁書と決定されました。カトリック教会がガリレイに対するこの判決が不当なものであったことを正式に認め、その判決を撤回したのは、判決から350年以上が過ぎた1992年のことなのです。

       同様の問題は、19世紀末に発表された進化論をめぐっても生じました。ダーウィンが発表した『種の起源』の中で、個々の生物は非常に単純な原始生物の段階から、生存競争や自然淘汰を通して進化してきたことを論じました。この説は、キリスト教世界の中でも特に福音主義の立場をとる人々から激しい批判を受けました。彼らは、世界や生命の始まりは創世記の冒頭にある神による天地創造の記述どおりであることを主張しました。また、神に似たものとして造られた人間が進化を経てきたことは受け入れられなかったのです。

        科学と宗教は、現在ではむしろ相互に補い合うものであることが認められるようになってきました。科学も宗教も、世界とは何か、人間とは何かという根本的な問題に、異なる視点から取り組むことによって貢献していることを忘れてはならないのです。

  宮越俊光著 『早わかりキリスト教』(日本実業出版社、2005年)参照。

***写真は高木淳さんの提供。

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