聖書に登場するシンボル 「ぶどう酒と杯」

    ぶどう酒は生きる喜びの一象徴であり、人間と神はぶどう酒によって喜びを与えられ、元気づけられます。神自ら人の心を喜ばせるぶどう酒を人間に与えてくださると詩編104・15にあります。主は渇きを覚えている者に水ばかりではなく、ぶどう酒をも、無償で与えるが(イザヤ55・1参照)これは主が彼らにいのちばかりではなく、喜びをも与えるということである。

    ヨハネ福音書のカナの婚礼(ヨハネ2・3‐10)で行われるしるしである「今まで取って置かれたよいぶどう酒」(10節)は、キリストの到来と宣べ伝えられる福音という喜びのしるしです。ところで共観福音書に出てくる「新しいぶどう酒」という表現は、イエスの新しい教えを、古い革袋を破る新しいぶどう酒に譬えたものです。(マタイ9・17)。

     聖書の中では、杯は「人の運命を表す」たとえになりました。悪い運命の場合は、例えばイザヤ51・17に「目覚めよ、目覚めよ/立ち上がれ、エルサレム。主の手から憤りの杯を飲み/よろめかす大杯を飲み干した都よ。」とあります。逆に、幸運の象徴として、詩編116・13に「救いの杯を上げて主の御名を呼び」とあります。

     最後の晩餐の席上で、「イエスは杯を取り、感謝の祈りを唱え、彼らに渡して言われました『皆、この杯から飲みなさい。 28これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である』」(マタイ26・27‐28)とイエスは死の杯を、自分の十字架上のいけにえのしるしとなさいました。

L. マンフレート(著)/ 池田 紘一「訳」『聖書象徴辞典』 人間書院 参照。

***写真は高木淳さんの提供。アルバムのリンク先 

https://www.facebook.com/100003853247773/posts/1326225717515857?s=100003853247773&v=i&sfns=mo

f:id:nipponblog:20190502184223j:plain