聖書に登場するシンボル 「水」

   天から落ちてきて、泉や小川において地表に現れる水は、乾いているものを元気づけ、汚れを浄め、火と闘うための、最も手近な手段です。

   「天から下の水が一つ所に集められた」ので要約、乾いた陸が現われた(創世記1・9‐10)。原初の水は生命の水に変わりました。すなわち、「エデンから一つの川が流れ出て、園を潤し」、そこで分かれた、楽園の四つの川となるのです(創世記2・10‐14)。神と結びつけば、ただの水も奇跡を起こすことができます。例えば列王記下5・10‐14には預言者エリシャの指示で、アラムの王の軍司令官ナアムはヨルダン川で七回からだを洗い、重い皮膚病を癒されるとあるのです。

   生命の実である原物質としての水と神との一致は、天地創造の初めにあるばかりではなく、福音書の重要な箇所にも見られる。「だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない」(ヨハネ3・5)。イエスが洗礼を受けた時、天が開け、「聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降って来た」(ヨハネ3・21‐22)。

    教会に入る際などに、聖水をからだにふりかける行為は、精神を浄める象徴的行為であるが、同時にそれを超えて、洗礼を想起する行為でもあります。ミサのぶどう酒に混ぜられる数滴の水は、キリストを信ずる人間(水)とキリスト(ぶどう酒)との結合を示します。

 マンフレート(著)/池田 紘一(訳)『聖書象徴辞典』人文書院 参照。***写真は白鷺(しらさぎ)、高木淳司さんの提供。アルバム「水辺りの鳥」、リンク先 

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