地球の誕生と成長 聖書週間に当たって(2) 

   天才アインシュタインが初めて相対性理論を思いついたのは1905年でしたが、そのとき彼はまだ、宇宙とは永遠不変の存在と確信していました。しかし1929年に、天文学者ハッブルが、宇宙は膨張し続けていることを立証したのです。今日では、宇宙には1~2兆の星雲が高速度で広がっていると言われています。宇宙の源であるビッグバンが起きたのは今から137億年前で、地球は45億年前に生まれたと計算されています。そして、数億年かかって地球の動きにより陸と海の形が整っては全滅し、それが数回くり返されたと言われます。

  地球には今まで3千万種類の生物が現れ、なくなり、また新しく生まれることを繰り返したと、地質学者たちが教えています。そして、人間(ホモ・サピエンス)は、石器時代の少し前、つまり10万年前に姿を現しました。その後、今から1万年前に農業が始まって人口が増加し、紀元前1500年には、人類の人口がもう5億人を超えていました。 聖書に登場するアブラハムは、紀元前1850年ごろにカナンに到着。私たちに伝わる旧約聖書の歴史背景の始まりです。

(ヴァチカン天文台、「宇宙を探検する、神学への科学の挑戦」2016年)。

 

創造神学と現在の科学、山野内 倫昭、聖書週間2017年。

詳細は 聖書週間 2017年11月19~26日 | カトリック中央協議会

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創世記を読み直す ー 聖書週間に当たって(1)

     聖書の一番初めの物語である創世記は、天地が創られたというより、その当時の人々にとっての苦しみがいつ始まったかということに関心があったようです。歴史的な背景として、紀元前6世紀から8世紀にかけて、祖国を奪われ隣国の支配下に置かれます。そして、神殿も破壊され、異国の地に連れられて行くのです。この悲惨さを経験している民に対して、創世記は苦しみの中に置かれた民に、希望をあたえる物語なのです。

         創世記1章から11章までの主なテーマは、人類が経験する苦しみの由来を説明しています。3章からアダムとイブの過ちや人類最初の殺人とされるカインとアベルの物語、そして広まった悪を一掃する洪水、さらにはバベルの塔の物語へと展開していきます。それらの物語の前に置かれている1章と2章を見てみましょう。1章1節にある「はじめに」ということばは、「元々、悪は存在しなかった。まず、神はすべてを美しく輝かしく創ったのだ。」ということを思い起こさせる希望のメッセージがあります。

     創世記は、罪と悪のなぞを解明しようという意図で編集されています。天地の構造を説明するのではなく、天国への道を示しているのです。

画像ー ローマシスティナ礼拝堂、ミケランジェロによるアダムの創造

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眠った後再び立ちあがる

福音箇所は Laudate | 教会カレンダー  (マタイ25章1~13節)

   車は便利です。二人、三人と乗って遠いところまで行くことができ、重くて大きな荷物も簡単に運ぶことができます。しかし、遠くまで走らなくても、そして何も運ばなくても、車が動くためにはガソリンが必要です。車には、ガソリンがどれくらい入っているのかを示す目盛りがあります。ガソリンが少なくなってきた時、知恵ある運転手はガソリンスタンドに行くのです。

    生きるためには、人生の生きがいというガソリンが必要です。最初は満タンでも、生きている間に、知らず知らずのうちに少しずつ減っていきます。たとえ話では、「皆眠気がさして眠り込んでしまった」と書かれています。人生にはさまざまな迷いや紆余曲折がありますが、その度にガソリンが大量に消費されるのです。その時に気づくことが大切ですが、なくなった時の対応も重要です。まず、私たちは弁明したり自分を正当化したりしがちですが、周囲の人やその状況を原因としないようにしましょう。自分の人生に必要なことや欠けているものを求め、それらを手に入れた後、再び人生の旅を続けましょう。人生の旅において重要なことは、どれぐらい時間を使うかや中断するということではなく、目的地にたどり着くことなのです。

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正しく生きる、正しく語る 

福音朗読は   Laudate | 教会カレンダー(マタイ23章1~12節)

   神の証し人となるということは、この世界に神がおられることの生けるしるしとなることです。どのような生活をしているかということのほうが、どんなことを話しているかということよいも大切です。というのも、本物の生き方は、常に本物の話し方に繋がるからです。隣人を心から許すとき、私たちの心は許しの言葉を語るでしょう。感謝の思いに溢れるとき、感謝の言葉が語られ、期待と喜びに溢れるとき、期待と喜びの言葉が語られるでしょう。

    言葉が時期尚早に語られても、その言葉の通りに行っていないなら、私たちは二重のメッセージを伝えかねません。言葉と行いがちぐはぐなままかたるこき、私たちはその二重のメッセージによって偽善者となってしまうでしょう。私たちの生き方が本物の言葉を私たちに語らせ、言葉が私たちを本物の生き方へと導きますように。

 

                        H.ナウエン、「今日のパン、明日の糧」、聖公会出版、2003年、218項

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福音宣教とは (5)

福音の心を証した人 (シャルル・ド・フーコー, 1858 – 1916)

    1858年、フランスのストラスブルグで生まれました。多感な思春期に信仰を失い、無規律な生活を過ごしますが、軍人になり、モロッコ探検を機に神の現存に心を揺り動かされ28歳で回心します。ナザレで、イエスの生きた姿を具体的に発見し、この時から全生涯をあげて神に身を捧げ、キリストにつき従いたいと望みます。 

    司祭になり、アルジェリアサハラ砂漠で、遊牧民であるトゥアレグ族の友であろうと努め、奴隷制度と闘い、言葉と文化を学び、トゥアレグ叙事詩を収集し、タマハク語の辞書を編纂します。こうして、キリスト教への改宗を求めるのではなく、全生活をあげて「福音を叫びたい」と切望するのでした。

  自分をイエスの小さい兄弟シャールと呼び、イエスの体と血の捧げものである聖体のうちに、神の現存と、傷ついた人類を癒し救うその愛を見、他者へと向かい、人々の中に共にいるという友愛と献身の美しい模範を示しました。1916年12月1日、第一次世界大戦中、友であるトゥアレグ人の中に最後までとどまろうとして裏切られ、暗殺されたのでした。 

詳細は https://www.facebook.com/20170207Justo/posts/1717981558244098

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福音宣教とは(4) 

「力あるかたがわたしに偉大なことをなさいましたから」(ルカ1・49)。 

  「おとめマリアが受けた偉大なたまものの一つは信仰です。神を信じることははかりしれないたまものですが、それを受け入れることを必要とします。マリアの賛歌」は、一人の信仰あふれる若者による革新的な祈りです。マリアは自分の限界を認め、神のいつくしみを信頼しています。この勇敢な娘は、神が身分の低い自分に目を留めてくださり、貧しく謙遜な人々のために救いのわざを行ってくださることに感謝しています。信仰はマリアの全生涯の中心です。 神が若者の心に触れると、その若者は真に偉大なことができるようになります。

 全能の神がマリアの人生においてなし遂げた「偉大なこと」は、わたしたち自身の人生の旅路にも当てはまります。 皆さんはわたしにこう言うかもしれません。『教皇様、わたしには限界があります。わたしは罪人です。わたしに何ができるでしょう』。 皆さんも若いマリアと同じように、自分の人生を、世界をよりよくするための道具にすることができます。イエスは人生に足跡を残すよう呼びかけています。それは皆さん自身の歴史だけでなく、他の多くの人々の歴史にも残る足跡なのです。」

 (2017年、世界青年の日、教皇メッセージ) 

 詳細は 

うー こんどの - 宣教の月、第4週目です。 ひとりの人間としてできることはわずかです。... | Facebook

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福音宣教とは (3)

  「相手の外見、能力、ことばの遣い、気質には関係なく、また、与えられる自己満足ゆえでもありません。すべての人は神の作品、神の被造物であるがゆえなのです。すべての人間が主の無限のいたわりの対象です。」(福音の喜び、274)

 

ネルソン・マンデラ

    アパルトヘイト体制を批判していたマンデラは1964年に国家反逆罪で終身刑となり、収監は27年にも及びました。初めての自由選挙によって初の黒人大統領に選ばれ、白人・黒人間、そしてあらゆる対立をいかにして収めるか、さらに、全人種を融和させることに全人生を捧げました。1993年にノーベル平和賞を受賞。

 

ゼノ・ゼブロフスキー

    “アリの町の神父”と呼ばれるゼノ・ゼブロフスキーは、マキシミリアノ・マリア・コルベ神父と共に来日しました(1930年)。半世紀にわたって日本の貧しい人々のために歩き続け、浅草のバタヤ街の人々を十字架の下に自立更生させた「アリの町づくり」は映画にもなり「アリの町の神父」として有名になりました。「白いヒゲ・黒の修道服に黒いカバン、黒いドタ靴」が代名詞のゼノさん。    

 

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