「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」(マタイ 22章21節)
心に灯ることば
イエスは、政治的な罠にかけようとする人々に対して、
静かに、しかし力強く答えられます。
私たちは社会の一員でありながら、同時に神のものでもあります。
神に属するもの――それは私たちの心、いのち、そして愛です。
文と写真はクラウディオ神父の提供で、聖ザベリオ会のHPから。
リンクは https://japan.xaverians.org/

「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」(マタイ 22章21節)
心に灯ることば
イエスは、政治的な罠にかけようとする人々に対して、
静かに、しかし力強く答えられます。
私たちは社会の一員でありながら、同時に神のものでもあります。
神に属するもの――それは私たちの心、いのち、そして愛です。
文と写真はクラウディオ神父の提供で、聖ザベリオ会のHPから。
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「見かけた者はだれでも婚宴に連れて来なさい。」(マタイ 22章9節)
イエスは、王が婚宴に人々を招くたとえを語られます。
神の国は、選ばれた少数のためではなく、すべての人に開かれた喜びの宴です。
しかし、招かれた人が「応える」ことも大切です。
神は、私たちがその喜びに参加することを望んでおられます。

「ぶどう園の主人は実を受け取ろうとして僕たちを送った。」(マタイ 21章34節)
イエスは、実を求める主人と、それを拒む農夫たちのたとえを語られます。
神は、私たちの中に良い実が育つことを望んでおられます。
しかしその実は、努力よりも、神の恵みを受け入れる心から生まれます。
主は、私たちの心が実りの畑となることを願っておられます。
文と写真はクラウディオ神父の提供で、聖ザベリオ会のHPから。
リンクは https://japan.xaverians.org/

「行きたくありません、と言ったが、後で考え直して出かけた。」(マタイ 21章29節)
イエスは、言葉よりも「心の変化」と「行動」を大切にされます。最初は拒んでも、後で心を開き、善い方向へ向かうことができます。神は、変わろうとする小さな一歩を喜ばれます。
文と写真はクラウディオ神父の提供で、聖ザベリオ会のHPから。
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変えられること
苦しみがない人になれなくても、
苦しみを乗り超えられる人になれます。
恵まれた人にはなれなくても、
恵みを見つけられる人にはなれます。
変えられないことを嘆くより、自分に変えられることを探しましょう。
文は「悲しみの向こう」、片柳弘史神父。買い求め https://amzn.asia/d/0gQu4P2g
写真は高木淳司さんの提供で 「札幌 カトリック北一条教会」 アルバム
リンクは https://www.facebook.com/100003853247773/posts/pfbid02rn3X9A7uCw62Z5Qd7VgfLNSbvoakfRZkcEKyZeokSQhixxcEsnQiqr2YZKfAW7kul/?
