2020-04-01から1ヶ月間の記事一覧

「お家にいましょう・stay home」③ 「静寂」

しばしば、この世の騒音によってわたしたちの魂はふさがれ、もはや息をつくこともできなくなってしまっています。そのわたしたちの魂にとって必要なのは、静寂という薬です。偉大なものが人間のうちに生まれるためには、沈黙が必要です。静寂は、静まり、落…

「お家にいましょう・stay home」 ② 「ゆっくり」

世の中の人々の神経だけが、絶え間ないストレスによってすり減ってしまっているのではありません。わたしたちの魂も傷ついています。慌ただしさや時間がお金に換算されることによって、容赦なくのしかかる重圧がわたしたちを苦しめています。いつも、何事も…

「お家にいましょう・stay home」 ① 「隠遁(いんとん)」

わたしたちはときどき、日常や忙しさから離れる必要があります。そうしなければ、その中でわたしたちは翻弄されてしまいます。あなたが日常の問題から本当に解放されるまでには、少しばかりの時間を必要とします。 最初に、内面の隠遁が始まります。あなたは…

「日々の暮らしの中」売れ節ランキング・新約聖書 第2位

4月26日にアマゾンで売れ節ランキング・新約聖書 「日々の暮らしの中ので 信仰を育て、実践する」は 第2位になっています。ご支援とご協力ありがとうございます。 https://www.amazon.co.jp/gp/bestsellers/books/775898/ref=pd_zg_hrsr_books

㉓ 今週もみことばとともに 復活節第3主日

「わたしたちの心は燃えていたではないか」(ルカ24・32) 私たちが「回心の祈り」を通してミサを始めるのは、誰もが「二人の暗い顔」のように嘆く経験をしたことがあるからです。「みことばの典礼」では、人生の出来事はみことばの光に照らされています。そ…

【新刊】『日々の暮らしの中で~信仰を育ち、実践する』

【新刊】『日々の暮らしの中で~信仰を育ち、実践する』(教友社・定価1100円/税込)が発売されました。「主の祈り」と「八つの幸い」を中心に、信仰生活を祈りとともに生きるためにみことばを解説する。白浜満司教推薦。 買い求めは http://www.kyoyusha.com/…

㉒ 今週もみことばとともに 復活節第2主日

「見ないのに信じる人は、幸いである。」(ヨハネ20・29) 疑い深いトマスが復活したイエスの傷跡に指を入れたことに対して、どのように思ったことがあるでしょうか。イエスは「見ないのに信じる人は、幸いである。」と宣言します。このことばは、まさに私た…

復活を知らせる駅伝 ヨハネ20・1-9 

復活の朝に起こった出来事は、例えるなら駅伝のようなものです。人から人へ伝播し、広がっていくからです。マグダラのマリアの場合、混乱しながら空の墓を発見したことを告げるために、ペトロともう一人の愛弟子のところへ走っていきます。その知らせを受け…

復活は新たな命を生み出す  マタイ29・1-10  (復活徹夜祭)

信仰は、死を含めた人生全体を考え、より良い人生を送るために、価値観や生き方、そして希望や生きがいなどを見いだす学び舎なのです。信仰を持つ人々は、死を否定することはありません。ただ、死は終わりではなく、新たないのちへの門出であると確信してい…

イエスの心構え ②  ヨハネ18・1~19・42 

受難は、突然の出来事でも思いがけない結果でもありません。それは「友のために自分の命を捨てること以上に大きな愛はない」というイエスの一貫した生き方なのです。イエスの死は、愛の行いです。友のために最後まで愛し抜くことなのです。 イエスが受けた暴…

イエスの心構え ① ヨハネ13・1-15

イエスの模範に従い、相手を思いやり、時間を割いて他者のために奉仕するということは、聖体を割って与える行為と同じです。イエスの記念として、忠実に続けていきましょう。わたしたちも高慢の上着を脱ぎ、愛と謙遜の手ぬぐいをとって腰にまとうように、日…

ユダも友と呼ばれた   (マタイ26・16-25)

ユダは謎に包まれた人物です。わたしたちは「なぜそのようなことを企てたのか」と厳しく問いただしたくなるでしょう。しかし、同情のまなざしで、ユダを見つめてください。なぜなら、イエスがユダに最後までそうされたからです。イエスを逮捕するために、兵…

イエスの愛弟子  (ヨハネ13・21-33)

キリスト教を信仰するにあたって、知識が全く必要ないというわけではありませんが、それより大切なことは、キリスト教を体験することであり、キリストと出会うことなのです。自分自身がキリストとつながり、その交わりに生かされることが欠かせない前提とな…

愛の香り  (ヨハネ12・2-11)

イエスに対するマリアの行いは、不満を抱くユダだけではなく、わたしたちをも戸惑わせるものかもしれません。そうだとすれば、わたしたちもまだ打算的な考え方をもっていることになるでしょう。つまり、自分の立場や役割について、自己中心的な見方しかでき…

⑳ 今週もみことばと共に(受難の主日A)

「主がお入り用なのです」(マタイ21.3) イエスは神殿に入る前に、子ロバの鼻と口を手でやさしくなでました。わずかな時間を惜しむように、イエスと子ロバは目と目を合わせました。イエスには、子ロバが言いたいことがわかっていました。それは「主よ、この…