2021-01-01から1年間の記事一覧

新年のご挨拶

あけましておめでとうございます。 昨年も愛読していただき、心から感謝いたします。 今年もよろしくお願いします。レナト神父より

「今日というチャンス」⑦ イエスの福音をあなたに

イエスは、弟子たちがこのことについてつぶやいているのに気づいて言われた。「あなたがたはこのことにつまずくのか。」ヨハネ6・60 そもそも「つまずく」ということは、通常の歩行がある物によって妨げられるという物理的な意味です。更に、非常識な考えや…

主のご降誕 おめでとうございます

「今日ダビデの町で、あなたがたのために 救い主がお生まれになった。] キリストの誕生は、あなたの人生に希望を、 あなたの心に光をもたらしますように。 信仰することは旅立つときのみではなく、 生涯を生き抜く支えとなりますように。

「今日というチャンス」⑥ イエスの福音をあなたに

「イエスは付近の村を巡り歩いてお教えになった。7そして、十二人を呼び寄せ、二人ずつ組にして遣わすことにされた。」 マルコ6・7 登山には、二つの姿勢が必要です。目の前にそびえる山の頂上を見ることと、足もとを見ることです。頂上を見つめるだけでは、…

「今日というチャンス」⑤ イエスの福音をあなたに

イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。弟子たちがイエスに尋ねた。『先生、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか。』イエスはお答えになった・『本人が罪を犯した…

「今日というチャンス」④ イエスの福音をあなたに

「イエスは振り返り、彼らが従って来るのを見て、「何を求めているのか」と言われた。彼らが、『先生、どこに泊まっておられるのですか』と言うと、イエスは、「来なさい。そうすれば分かる」と言われた。」ヨハネ1・38-39) 野球やサッカーなどのスポーツ…

「今日というチャンス」③ イエスの福音をあなたに

イエスはそこをたち、通りがかりに、マタイという人が収税所に座っているのを見かけて、「わたしに従いなさい」と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。マタイ9・9 昔、先生になりたい人たちは、ある先生の所に行って教えを習い、何ヶ月か何年間かを経…

「今日というチャンス」② イエスの福音をあなたに

「天の国は次のようにたとえられる。畑に宝が隠されている。見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う。」マタイ13・44 人生という畑にいくつかの宝が隠れていると思います。その宝とは有意義な出会い(…

『日々の暮らしの中で  信仰を育て、実践する』 1位

皆さまのおかげで新約聖書カテゴリーで1位になりました。 ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。 みことばと共に 2012年11月19日

「今日というチャンス」① イエスの福音をあなたに 

新しい連載!よろしくお願いします。 「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」(マタイ28・20) このイエスのことばは、「死んだあと」という向けられる約束を指しているではなく、「いま」「ここ」で実現し始めると断言しています。「い…

「イエスの心に触れる」⑱ 迫害されるあなた方

わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。(マタイ5…

「イエスの心に触れる」⑰ 迫害される人々

義のために迫害される人々は、幸いである、/天の国はその人たちのものである。(マタイ5.10) イエスに従うことは迫害も伴います。そもそも、イエス自身が迫害を受けたからです。また、聖書の預言者たちの召命からくる運命に伴うものです。なぜなら、預言…

「イエスの心に触れる」⑯ 平和を実現する人々

平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。 (マタイ5・9) 旧約聖書に書かれた、ヘブライ語での「平和」を意味する語は、「シャローム」です。このシャロームは元来、神からの贈り物で何かが欠如したり、損なわれたりしていない充…

「イエスの心に触れる」 ⑮ 心の清い人々

心の清い人々は、幸いである、/その人たちは神を見る。(マタイ5・8) ひらがなで書く「こころ」は感情、意志、知性などの精神的働きを包含する広い意味を持っています。一方、漢字の心は、二心、心細い、下心、心配りなど、心の中から出ていくもの、生まれ…

イエスの心に触れる ⑭ 「憐れみ深い人々」

憐れみ深い人々は、幸いである、その人たちは憐れみを受ける。(マタイ5・ 7) 憐れみの心遣いは隣人が置かれた状況に心を配ることから始まります。言葉にならない隣人の叫びに耳を澄ますこと。周囲に目を開き、凝らすこと、自己中心的な殻から出ていき、他…

イエスの心に触れる ⑬ 「義に飢え乾く人々」

義に飢え渇く人々は、幸いである、/その人たちは満たされる。(マタイ5・6) 「義」という言葉に対する解釈はそれぞれありますが、聖書的裏付として、ヨハネ福音にあるイエスの「表現」に触れましょう。「わたしの食べ物とは、わたしをお遣わしになった方の…

イエスの心に触れる ⑫ 「柔和な人々」

柔和な人々は、幸いである、/その人たちは地を受け継ぐ。(マタイ5・5) 柔和な人は謙遜で、他者に対する愛情を示す人です。言い換えれば柔和な人は忍耐強く思慮深い愛を実現する人です。イエス自身が人間性を体験し、その重荷を担い、虐げられた人に希望…

イエスの心に触れる ⑪ 「悲しむ人々」

悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。(マタイ5・4) 聖書では「悲しむ」ことは人の死を悲しむことを意味します。そして広い意味で苦悩、心痛、悲嘆までの心情を表しています。悲しむ人は不幸な出来事を味わっている人であり、それは一人の次…

イエスの心に触れる ⑩ 「心の貧しい人々」

心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。 (マタイ5・3) 「心の貧しい」という表現ですが、「物乞い」という訳は原文に一番近い意味の言葉です。生きるために、周囲の人たちの寛容や寛大さに頼るしかないという意味です。聖書によ…

イエスの心に触れる ⑨ 「幸いの宣言」

心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。 悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。 柔和な人々は、幸いである、その人たちは地を受け継ぐ。 義に飢え渇く人々は、幸いである、その人たちは満たされる。 憐れみ深い人々…

イエスの心に触れる  ⑧ 「悪からお救い下さい」

天におられるわたしたちの父よ、み名が聖とされますように。み国が来ますように。みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。わたしたちの日ごとの糧を今日も お与えください。わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。わ…

イエスの心に触れる ➆ 「わたしたちを誘惑に陥らせず」

天におられるわたしたちの父よ、み名が聖とされますように。み国が来ますように。みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。わたしたちの日ごとの糧を今日も お与えください。わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。わ…

イエスの心に触れる [わたし たちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします」⑥ 

天におられるわたしたちの父よ、み名が聖とされますように。み国が来ますように。みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。わたしたちの日ごとの糧を今日も お与えください。わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。わ…

イエスの心に触れる 「わたしたちの日ごとの糧を」⑤

天におられるわたしたちの父よ、み名が聖とされますように。み国が来ますように。みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。わたしたちの日ごとの糧を今日も お与えください。わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。わ…

イエスの心に触れる「み心が天に行われるように」④

天におられるわたしたちの父よ、み名が聖とされますように。み国が来ますように。みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるしま。わた…

イエスの心に触れる 「み国がきますように」③ 

天におられるわたしたちの父よ、み名が聖とされますように。うに。み国が来ますように。みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるしま…

イエスの心に触れる 主の祈り②

天におられるわたしたちの父よ、み名が聖とされますように,み国が来ますように。 みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。わ…

イエスの心に触れる 「主の祈り」 ①

天におられるわたしたちの父よ、み名が聖とされますように。み国が来ますように。みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。わ…

福音書を読み、イエスに親しむ」 ㉗ わたしたちの人生 

このほかにも、イエスは弟子たちの前で、多くのしるしをなさったが、それはこの書物に書かれていない。 これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである。(ヨ…

「福音書を読み、イエスに親しむ」㉖ 名前で呼ばれること

イエスが、「マリア」と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で、「ラボニ」と言った。(ヨハネ 20・16) イエスがマリアを名前で呼んだ時、誰もが知っている名を口にした以上の意味が込められています。彼女の全存在に呼びかけたのです。イエスはマリ…