2018-01-01から1年間の記事一覧

新春のご挨拶

FBを通してつながっている皆さまへ あけましておめでとうございます。 昨年も愛読していただき、心から感謝いたします。 次回より、聖書に登場する記号、動物、ものなどについて紹介していきたいと考えています。文学と映画の世界、または教会訪問先で遭遇す…

クリスマスの終わり、イエスとの旅の新たな始まり

「マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布に包んで飼い葉桶に寝かせた」(ルカ2章7節 餌箱である飼い葉桶にイエスが置かれました。人生の糧であるイエスは、12月25日だけでなく、年間中にあなたを養い、あなたの人生にいつも寄り添ってくださいます。 今…

「知ってるつもりキリスト教」㉚ クリスマスとキリスト

キリスト教最大の祝日は復活祭であり、かなり初期の頃から祝われていましたが、イエスの誕生がはっきりとした形で祝われるようになったのは、4世紀以降のことです。 キリスト教がローマ皇帝で公認されたこの時代、ローマでは太陽神を崇めるミトラス教という…

「知ってるつもりキリスト教」㉙ 科学とキリスト教は相容れないものか?  

地球を中心にその他の天体が地球の周りを回っているという天動説が信じられていた時代に、ガリレオ・ガリレイはコペルニクスと同様に地動説を主張しました。神が定めたとされる天動説の批判を受けて、カトリック教会はガリレイに対して1616年と33年の2度にわ…

「知ってるつもりキリスト教」㉘  マリアはどのように位置づけられるか?

カトリック教会は、伝統的にイエスの母マリアヘの崇敬を続けてきました。中世にはマリアヘの信心や崇敬が過剰になり、唯一の神への信仰、そしてイエス・キリストヘの信仰という本来の姿から離れてしまう傾向もありました。本来、キリストに対して示すべき崇…

「知ってるつもりキリスト教」㉗ 教会一致推進運動(エキユメニズム運動)

2000年に及ぶキリスト教の歴史の中で、不幸な出来事がいくつか生じており、その一つにキリスト教内部の分裂や対立があります。キリスト教徒はキリストを主と宣言し、キリストに対する信仰を保ち、同じ聖書を信仰のよりどころとしているはずなのに、現状は非…

「知ってるつもりキリスト教」㉖ 神父と牧師の違い  

日本では、「神父」と「牧師」をよく混同して用いています。一般の人にとって、神父や牧師に接する機会はそれほど多くないでしょうが、キリスト教系の学校に通ったことのある人は、そこで働く神父や牧師に接したことがあるでしょう。 「神父」は、主にカトリ…

「知ってるつもりキリスト教」㉕ 日常用語になったキリスト教のことば(4)

「目からうろこ」 多くの人は「目からうろこが落ちる」という表現を使ったことがあるのではないでしょうか。この「目からうろこ」は、新約聖書の「使徒言行録」第9章に登場する表現です。キリスト教の表現が、日常生活に浸透していることを実感していただけ…

「知ってるつもりキリスト教」㉔ 日常用語になったキリスト教の言葉(3)

洗礼 キリスト教信者になるための入信の儀式です。全身または頭に水を受け、三位一体(父と子と聖霊)によって罪がゆるされ、キリストの死と復活にあずかり、新しい命に生まれ変わることを表します。ここから、生き方や考え方に大きな変化をもたらす出来事に…

「知ってるつもりキリスト教」㉓  日常用語になったキリスト教の言葉(2)

週間制 なぜ一週間は7日で構成されているのでしょか?7日制の起源は、旧約聖書の創世記1章と2章に描かれている天地創造物語に基づいています。それによると、神は6日間働いて、自然や生物、そして人間を創造されました。その後、7日目に仕事を離れて安息…

                「知ってるつもりキリスト教」㉒ 日常用語になったキリスト教の言葉(1)

* カリスマ ギリシャ語で「神からのたまもの」を表しています。新約聖書では、聖霊を受けた異言や預言、また癒しの力などを示しています。ここから、他者より優れた能力を持つ人を指すようになったのです。 * タレント 古代ギリシャの重量や通貨の単位「タ…

「知ってるつもりキリスト教」㉑ 信仰生活の中心であるミサ  

ミサは、ことばの典礼と感謝の典礼という二つの部分から構成されています。ことばの典礼では、福音書を含む特定の聖書箇所が朗読されます。司祭による説教では、聖書朗読に基づいて、信者が生活の中でどのように生きるかについて語られます。感謝の典礼は、…

知ってるつもりキリスト教」⑳ 最後の晩餐の記念であるミサ

初期の教会では、特定の名称はまだ定められていませんでしたが、使徒言行録2.42と46、そして20.7にある「パンを裂く」という言葉が最後の晩餐を記念する式の名称として用いられるようになりました。その後、ギリシャ語で「感謝」を意味することばなどが式の…

「知ってるつもりキリスト教」⑲ 日曜日にはどのような意味があるのか

「十戒」の第4の戒めは、「安息日は、聖別された日で仕事をしてはならない」というものです。この日は現在の土曜にあたり、律法によって休むように定められた日です。ユダヤ教の暦では日没から翌日になるので、実質は金曜日から始まります。 初期のキリスト…

「知ってるつもりキリスト教」⑱ 復活祭とはどのような祭日か

キリスト教の暦の中で、最も重要で盛大に祝われるのが復活祭です。イエスの生涯の最後の出来事、すなわちイエスの受難と死と復活を祝い、この一連の出来事を「主の過越(すぎこし)」と呼びます。イエスが最後の日々を送ったのは、ユダヤ教三大祭りの一つで…

「知ってるつもりキリスト教」⑰ 復活したイエスと弟子たちの変化

イエスの死後、彼と行動を共にしていた弟子たちは、自分たちがイエスの弟子であることが知られるのを恐れて身を隠していました。しかし、複数の場所で彼らは復活したイエスに出会いました。この出来事によって弟子たちは力づけられ、彼らは「イエスは復活し…

「知ってるつもりキリスト教」⑯ 復活をどのように理解するか

イエスの復活を理解するためには、当時のユダヤ人が信じていた死者の復活について知っておく必要があります。亡くなった人は、死者の国に下って終末の時までそこにとどまっています。そして、世の終わりが訪れると、神によって世界の秩序は正しくされ、すべ…

「知ってるつもりキリスト教」⑮ なぜイエスは十字架で処刑されたのか

イエスの宣教活動は、最初に多くの人に受け入れられ、力強い支持を得ていました。しかし、イエスが自分たちの思い描く指導者とは異なることに気づくと、人々の態度は次第に変わっていきました。彼らは、ローマ帝国による支配を退け、自分たちを独立に導くよ…

「知ってるつもりキリスト教」⑭「わたしの記念として」

最後の晩餐は、コリントの信徒への手紙一とヨハネ福音書以外の三つの福音書に詳しく記されています。当時、すでに各地に広がっていたキリスト教徒の共同体では、この最後の晩餐を記念する集い(後に聖餐式や主の晩餐、そしてミサと呼ばれるようになった)が…

「知ってるつもりキリスト教」⑬ 最後の晩餐とはどのような出来事なのか

自らの死を覚悟したイエスは、エルサレムにたどりつくと弟子たちとの別れの食事をします。やがては捕らえられる自分の立場をよく理解して、自分の死がどのような意味を持つのかを弟子たちに伝えているのです。 イエスはパンとぶどう酒を用いて、自分に待ち受…

「知ってるつもりキリスト教」⑫ イエスのたとえ話と福音宣教

ルカ福音書15章には、三つのたとえ話が記されており、罪人(つみびと)と一緒に食事をしたイエスを批判した人々に対して語られています。一つ目のたとえ話には、次のようなものがあります。 「あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見…

「知ってるつもりキリスト教」⑪ イエスはたとえ話で何を伝えようとしたのか

イエスが人々に福音のメッセージを語る時、「たとえ話」を用いることがよくありました。当時の日常生活の中から親しみやすい素材を借りてたとえ話を作り、神の愛や神の国について語りました。イエスは、神が私たちから遠くかけ離れた存在ではなく、ごく身近…

「知ってるつもりキリスト教」⑩ 奇跡の背景にある神の愛

福音書に記されたイエスの奇跡は事実なのでしょうか。この疑問に簡単には答えられませんが、おそらく物語の土台となった何らかの出来事があったのは間違いないでしょう。ただし、すべてが福音書に記されたとおりであったかどうかを知ることはできません。イ…

「知ってるつもりキリスト教」⑨ イエスの奇跡をどのように理解するのか?

奇跡に関する物語は福音書にたびたび登場しますが、自然科学が発達した現代人の立場からすると、「そのようなことができるものか」と首をかしげたくなるような出来事が記されています。なぜイエスはこのような不思議なわざを行ったのでしょうか。 福音書に記…

「知ってるつもりキリスト教」⑧ イエスによる神の国の実現

イエスが朗読したイザヤの預言の冒頭に、「主の霊が私の上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主が私に油を注がれたからである」(ルカ4・18)という文があり、ここにイエスの使命が要約されています。油を注がれてメシア(キリスト)となった者が…

「知ってるつもりキリスト教」⑦ イエスがのべ伝えた神の国

聖書に登場する「神の国」というのは、神の愛が全世界に広がることを表しています。イスラエルの民は、古くから強国の支配を受け、圧政に苦しむ歴史を繰り返してきました。そのような状況の中で、人々はいつか必ず神が到来し、苦しみから解放されることを信…

「知ってるつもりキリスト教」⑥ 神を「父よ」と呼んだイエス

イエスの祈りを伝える福音書では、神に「父よ」と呼びかけて祈るイエスの姿が描かれています(マタイ6・9、ルカ10・21参照)。しかし、聖書に書かれた祈りにおいて、「父よ」の呼びかけで始まるものはありません。この表現は、イエスが用いる祈りの一つの大…

「知ってるつもりキリスト教」⑤ 「イエス・キリスト」

日本語で欧米人の名前を書く時、私の本名のレナト・フィリピーニのように、名前と姓の間に「・」が表記されます。しかし、イエス・キリストの場合、「イエス」が名前で「キリスト」が姓という意味ではありません。「キリスト」はヘブライ語の「メシア」をギ…

「知ってるつもりキリスト教」④ 四福音書の特徴

マタイ福音書 パレスティナ周辺もしくはシリアで、紀元80年代に成立したとされます。著者は十二使徒の一人であるマタイとする伝承があります。ユダヤ教からキリスト教に改宗したユダヤ人共同体の中でまとめられたため、ユダヤ教の流れをくむ用語や表現が多く…

「知ってるつもりキリスト教」③ 福音書とは?

キリスト教の中心人物は、言うまでもなくイエス・キリストです。イエスについて知り、その生き様を学ぶために、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの名を冠した福音書を読むことは第一歩となります。これらの四つの福音書は、イエスの生涯について知るために最も…