「知ってるつもりキリスト教」㉕ 日常用語になったキリスト教のことば(4)

「目からうろこ」

       多くの人は「目からうろこが落ちる」という表現を使ったことがあるのではないでしょうか。この「目からうろこ」は、新約聖書の「使徒言行録」第9章に登場する表現です。キリスト教の表現が、日常生活に浸透していることを実感していただけたはずです。現在では、「あることがきっかけとなり、ものごとの真相や本質が突然わかるようになる」という意味で使われているのです。

 

「目には目を」 聖書と復讐

          日常的に使われる用語になったからといって、必ずしも本来の意味に忠実に基づいて使われているわけではありません。その例が「目には目を」という表現です(出エジプト21・24)。「旧約聖書では復讐が容認されている」と解釈されるなら、それは完全な誤解です。この聖句は有名な表現ですが、世界最古の法律とされるハムラビ法典の中にある「同害報復法」に関連しています。人が片目をつぶされると、復讐する時はエスカレートして相手の両目を傷つけたくなります。しかし、新約聖書のマタイ福音書には、「あなたがたも聞いているとおり、『目には目を、歯には歯を』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。(38-39)」とイエスは宣言したのです。

***写真はロペス神父(聖ザべリオ宣教会会員)の提供。

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「知ってるつもりキリスト教」㉔ 日常用語になったキリスト教の言葉(3)

  洗礼

キリスト教信者になるための入信の儀式です。全身または頭に水を受け、三位一体(父と子と聖霊)によって罪がゆるされ、キリストの死と復活にあずかり、新しい命に生まれ変わることを表します。ここから、生き方や考え方に大きな変化をもたらす出来事に遭遇することを示すようになったのです。

 

  キャンドル・サービス 

クリスマス・イブに行われることが多い礼拝の一つです。キリストのシンボルであるろうそくを参加者一同が手に持ち、聖書の朗読や説教を聞いたり讃美歌を歌ったりして、キリストの誕生を祝います。18世紀半ばの東欧の教会で始まったと言われています。

 

  ゴスペル

英語で「福音」という意味です。「ゴスペルソング」や「ゴスペルミュージック」など、19世紀のアメリカで誕生した黒人霊歌やブルーズなどの影響を受けた音楽の通称です。

 

  サービス

「奉仕」あるいは「給仕」の意味で用いられますが、キリスト教では「礼拝」を意味する言葉として利用され、礼拝には他者のために行う奉仕の意味合いがあるとしています。

 

宮越俊光著 『早わかりキリスト教』(日本実業出版社、2005年)参照。

***写真はロペス神父(聖ザべリオ宣教会会員)の提供。

 

 

 

「知ってるつもりキリスト教」㉓  日常用語になったキリスト教の言葉(2)

  • 週間制

なぜ一週間は7日で構成されているのでしょか?7日制の起源は、旧約聖書の創世記1章と2章に描かれている天地創造物語に基づいています。それによると、神は6日間働いて、自然や生物、そして人間を創造されました。その後、7日目に仕事を離れて安息なさり、「第七の日を神は祝福し、聖別された」のです(創世記2・2-3)。これが一週間の成り立ちです。海外へ行って、日曜日に店が閉まっている理由がお分かりです。

  • 紀元前・紀元

今年は2018年ですが、なぜ2018年でしょうか。どのように数えられているのでしょうか?現在、キリストが誕生したと考えられる年を元年とする西暦紀元が多くの国で用いられています。紀元とは、歴史上の年数を数える時の基準となる最初の年のことです。何気なく使っている西暦は、実はキリストの誕生を基準にしているものなのです。

 宮越俊光著 『早わかりキリスト教』(日本実業出版社、2005年)参照。

***写真はロペス神父(聖ザべリオ宣教会会員)の提供。

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                「知ってるつもりキリスト教」㉒ 日常用語になったキリスト教の言葉(1)

   * カリスマ

ギリシャ語で「神からのたまもの」を表しています。新約聖書では、聖霊を受けた異言や預言、また癒しの力などを示しています。ここから、他者より優れた能力を持つ人を指すようになったのです。

     * タレント

古代ギリシャの重量や通貨の単位「タラントン」が由来となっています。マタイ福音書25・14~30で、イエスは、ある人が僕の能力に応じてタラントンを預け、ある僕はタラントを増やし、別の僕は増さなかったというたとえ話を語りました。ここから、「能力」や「才能」を表す言葉として使用されるようになったのです。

    * グッバイ・バイバイ (Good bye, Bye bye)

語源は「神があなたと一緒にいますように(God be with you.)」です。現代では、「God bless you.(神のご加護がありますように)」の方が一般的な表現となっています。

    * 踏み絵

キリスト教を禁じた江戸幕府が作成した木製や銅製の板のことです。板にはキリストの十字架像やマリア像が刻まれており、キリスト教徒ではないことを証明する目的で人々に踏ませました。ここから、ある人の主義や思想などを試すことを指す言葉として用いられるようになったのです。

 

宮越俊光著 『早わかりキリスト教』(日本実業出版社、2005年)参照。

***写真はロペス神父(聖ザべリオ宣教会会員)の提供。

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「知ってるつもりキリスト教」㉑ 信仰生活の中心であるミサ  

   ミサは、ことばの典礼と感謝の典礼という二つの部分から構成されています。ことばの典礼では、福音書を含む特定の聖書箇所が朗読されます。司祭による説教では、聖書朗読に基づいて、信者が生活の中でどのように生きるかについて語られます。感謝の典礼は、最後の晩餐を記念するミサの核となる部分です。祭壇に運ばれたパンとぶどう酒の上に、司祭は感謝の祈りを唱え、キリストの体と血になるように祈ります。その後、信者はこのキリストの体と血を受けます。この体と血を受けることを、カトリックでは「聖体拝領」、プロテスタントでは「陪餐」と呼ぶのです。

   ミサは、キリスト教徒にとって信仰生活の中心となる祭儀です。カトリックでは、司祭がパンとぶどう酒に特別の祈りを唱えることによって、キリストの体と血に変わります。イエスは、自らの命をささげてすべての人へ救いをもたらしました。イエスの体である「聖体」を食べることによって、キリストの命を受け、キリストと信者との深い繋がりを体験するのです。

 宮越俊光著 『早わかりキリスト教』(日本実業出版社、2005年)参照。

***写真はロペス神父(聖ザべリオ宣教会会員)の提供。

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知ってるつもりキリスト教」⑳ 最後の晩餐の記念であるミサ

  初期の教会では、特定の名称はまだ定められていませんでしたが、使徒言行録2.42と46、そして20.7にある「パンを裂く」という言葉が最後の晩餐を記念する式の名称として用いられるようになりました。その後、ギリシャ語で「感謝」を意味することばなどが式の名称に用いられ、最終的に祭儀の終わりを告げるラテン語の「イテ・ミサ・エスト(行きなさい、解散です)」から取られた「ミサ」が、この集いの名称として一般的になったのです。

   ルネサンス期の巨匠レオナルド・ダ・ヴィンチの傑作『最後の晩餐』には、イエスが十字架上で処刑される前の食事の様子が描かれています(マルコ14.17~25、コリント信徒への手紙一11.23-26)。弟子たちと食事をともにしたイエスは、パンを「わたしの体である」、そしてぶどう酒を「わたしの血である」と言って彼らに与え、「わたしの記念としてこのように行いなさい」と弟子たちに命じたと伝えられています。

   このことばに従い、弟子たちはイエスの死後、たびたび集まり、イエスがしたようにパンを裂いて食べ、イエスの最後の晩餐を記念する祭儀を行うようになったのです。

 宮越俊光著 『早わかりキリスト教』(日本実業出版社、2005年)参照。

***写真はロペス神父(聖ザべリオ宣教会会員)の提供。

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「知ってるつもりキリスト教」⑲ 日曜日にはどのような意味があるのか

   「十戒」の第4の戒めは、「安息日は、聖別された日で仕事をしてはならない」というものです。この日は現在の土曜にあたり、律法によって休むように定められた日です。ユダヤ教の暦では日没から翌日になるので、実質は金曜日から始まります。

     初期のキリスト教徒も、初めはユダヤ教の習慣に従って安息日を守っていましたが、しだいにキリストが復活した週の初めの日、すなわち安息日の翌日である日曜日に独自の集会を持つようになりました。それは、最後の晩餐でイエスが行った行為を再現する儀式である現在のミサ(聖餐式)に当たるものです。イエスが最後の晩餐の席で「私の記念としてこのように行いなさい」と弟子たちに命じたことを忠実に守り、イエスのことを思い起こすために、週の初めの日に集まって式を行っていたのです。

     キリスト教では、イエスが復活した日に当たる曜日を「主日」と呼びます。主日キリスト教信仰の根幹をなすイエスの復活を毎週祝うことによって、キリスト教徒としてのアイデンティティを自覚し、他の信者との交わりを深めるのです。そして、それぞれが生活の中で福音の精神を実践するのです。

  宮越俊光著 『早わかりキリスト教』(日本実業出版社、2005年)参照。

***写真はロペス神父(聖ザべリオ宣教会会員)の提供。

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