新春のご挨拶

FBを通してつながっている皆さまへ

 あけましておめでとうございます。

 

昨年も愛読していただき、心から感謝いたします。

 次回より、聖書に登場する記号、動物、ものなどについて紹介していきたいと考えています。文学と映画の世界、または教会訪問先で遭遇するもので、その意味を理解するとさらに豊かな出会いになるではないかと期待しています。

 

今年もよろしくお願いします。 

 

クリスマスの終わり、イエスとの旅の新たな始まり

「マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布に包んで飼い葉桶に寝かせた」
(ルカ2章7節

餌箱である飼い葉桶にイエスが置かれました。
人生の糧であるイエスは、12月25日だけでなく、
年間中にあなたを養い、
あなたの人生にいつも寄り添ってくださいます。

今年もクリスマスは終わりましたが、
これから人生の旅をイエスと共に続けましょう。

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「知ってるつもりキリスト教」㉚ クリスマスとキリスト

   キリスト教最大の祝日は復活祭であり、かなり初期の頃から祝われていましたが、イエスの誕生がはっきりとした形で祝われるようになったのは、4世紀以降のことです。

   キリスト教ローマ皇帝で公認されたこの時代、ローマでは太陽神を崇めるミトラス教という宗教がありました。この太陽神の誕生は、12月の冬至の頃(25日)に祝われていました。やがて、キリスト教が勢力を拡大するにつれ、この太陽神の誕生祭をキリスト教化し、イエスの誕生を祝う日としたのです。冬至を境に日が次第に長くなっていくこの季節は、世を照らす光、そして正義の太陽と崇められるキリストの誕生を祝うのには好都合だったのです。

   クリスマス(Christmas)は「キリスト(Christ)のミサ(mass)」という言葉が省略されたものです。また、Christmasを短くしたXmasと言う表記も目にしますが、それはギリシャ語のX(キー)という文字です。ギリシャ語では、キリストをΧριστος(クリストス)と言い、後に頭文字だけでキリストを表すXmasが出来上がりました。

  12月24日の夜、あるいは翌25日にキリスト教の教会で本物のクリスマスを体験してみませんか。お近くの教会に足を運んでみてください。みなさんを必ず歓迎してくれることでしょう。

 宮越俊光著 『早わかりキリスト教』(日本実業出版社、2005年)参照。
***写真・カトリック玉名教会(熊本県玉名市)。

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「知ってるつもりキリスト教」㉙ 科学とキリスト教は相容れないものか?  

  地球を中心にその他の天体が地球の周りを回っているという天動説が信じられていた時代に、ガリレオ・ガリレイコペルニクスと同様に地動説を主張しました。神が定めたとされる天動説の批判を受けて、カトリック教会はガリレイに対して1616年と33年の2度にわたって異端審問を行いました。そして、地動説は異端であることを決議し、ガリレイには地動説の放棄が強要されました。また、コペルニクスの著書も禁書と決定されました。カトリック教会がガリレイに対するこの判決が不当なものであったことを正式に認め、その判決を撤回したのは、判決から350年以上が過ぎた1992年のことなのです。

       同様の問題は、19世紀末に発表された進化論をめぐっても生じました。ダーウィンが発表した『種の起源』の中で、個々の生物は非常に単純な原始生物の段階から、生存競争や自然淘汰を通して進化してきたことを論じました。この説は、キリスト教世界の中でも特に福音主義の立場をとる人々から激しい批判を受けました。彼らは、世界や生命の始まりは創世記の冒頭にある神による天地創造の記述どおりであることを主張しました。また、神に似たものとして造られた人間が進化を経てきたことは受け入れられなかったのです。

        科学と宗教は、現在ではむしろ相互に補い合うものであることが認められるようになってきました。科学も宗教も、世界とは何か、人間とは何かという根本的な問題に、異なる視点から取り組むことによって貢献していることを忘れてはならないのです。

  宮越俊光著 『早わかりキリスト教』(日本実業出版社、2005年)参照。

***写真は高木淳さんの提供。

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「知ってるつもりキリスト教」㉘  マリアはどのように位置づけられるか?

   カトリック教会は、伝統的にイエスの母マリアヘの崇敬を続けてきました。中世にはマリアヘの信心や崇敬が過剰になり、唯一の神への信仰、そしてイエス・キリストヘの信仰という本来の姿から離れてしまう傾向もありました。本来、キリストに対して示すべき崇敬以上に、人々はマリアに対して熱心に祈るようになり、あたかもマリアが神の特別な恵みを受けた「女神」であるかのように崇めるようになってしまいました。人々はマリアに取り次ぎを祈り、マリアに対して祈ることがキリストと同等、あるいはそれ以上の効果があると考えていたこともあったのです。

    しかし、マリアが神に対する信仰を生涯保ち、従順に生きたことは否定できません。神の子を産むことを告げられた有名な受胎告知の際も、神への信仰に基づいてそれを受け入れています。また、イエスを産んだ後もイエスとともに行動し、宣教活動を見守り、十字架上で死を迎えるときもイエスと苦しみをともにしました。受胎告知のときのマリアの承諾なしに、イエスが生まれることはありませんでした。このマリアの承諾の土台となる純粋な信仰こそが、すべてのキリスト教徒が持つべき最も優れた信仰のかたちなのです。

 宮越俊光著 『早わかりキリスト教』(日本実業出版社、2005年)参照。

***写真は高木淳さんの提供。

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「知ってるつもりキリスト教」㉗ 教会一致推進運動(エキユメニズム運動)

     2000年に及ぶキリスト教の歴史の中で、不幸な出来事がいくつか生じており、その一つにキリスト教内部の分裂や対立があります。キリスト教徒はキリストを主と宣言し、キリストに対する信仰を保ち、同じ聖書を信仰のよりどころとしているはずなのに、現状は非常に多くの教派に分かれてしまっているのです。

     21世紀になり、教会は対立ではなく対話の精神で各教派が互いを理解し、一致を実現しようとする道をようやく歩み始めました。この動きをエキュメニズム運動(教会一致推進運動)と呼んでいます。特に、1948年に成立した世界教会協議会(WCC)や第二バチカン公会議(1962-65年)などが、各教派の一致への歩みを推進する力となってきました。

      現在のエキュメニズム運動の根底にある精神は、「対話」です。かつては互いに排斥し合っていた時代もありましたが、現在はそれぞれの教派がお互いの立場を尊重し、同じ主キリストを信じる者として交流しようと努めています。例えば、毎年1月18日から25日を「キリスト教一致祈祷週問」として、各教派が一致のためにともに祈りをささげることにしています。そして、来月には三回目となる共同での聖書翻訳の集大成である『聖書 聖書協会共同訳』が出版されるのです。

 宮越俊光著 『早わかりキリスト教』(日本実業出版社、2005年)参照。

***写真は高木淳さんの提供。

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「知ってるつもりキリスト教」㉖ 神父と牧師の違い  

   日本では、「神父」と「牧師」をよく混同して用いています。一般の人にとって、神父や牧師に接する機会はそれほど多くないでしょうが、キリスト教系の学校に通ったことのある人は、そこで働く神父や牧師に接したことがあるでしょう。

   「神父」は、主にカトリック教会と正教会、そして場合によっては聖公会でも用いられます。ただし、「神父」とは役職を表す言葉ではありません。「○○神父さん」、「○○神父様」というように、呼びかけたり会話の中で名前を呼んだりする際に用いる敬称または呼称です。そのため、役職を表す場合は「司祭」を用います。

   一方、プロテスタント教会では役職を表す時には「牧師」を用いています。そして、牧師への敬称や呼称は、「○○先生」とする場合が多いようです。なお、牧師は結婚することができますが、神父は生涯独身という区別もあります。

 宮越俊光著 『早わかりキリスト教』(日本実業出版社、2005年)参照。

***写真は高木淳さんの提供。

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