慰めの天使 (クリスマスと私たち 3)

朗読箇所は Laudate | 教会カレンダー   

   「聖書のギリシア語の『慰める』は、その意味が、こちらに呼び寄せる、招待する、助けを求める、元気づける、よい言葉で話しかける、ということです。喪失経験に苦しむ人は、その人の傍らに立ち、必要であるならその人を助け、ふさわしい言葉で語りかける天使を必要とします。

    慰めることは、その人に話しかけることであり、その人の心に届く言葉を語る慰めること、まさにその人に働きかける言葉を語ることです。慰めるとは、心からに伝わる言葉、私の心から出る言葉を語ることです。それは、リアリティーのない型にはまった言葉ではなく、聞く人の心で花を咲かせることばです。そして、新しい視野を開き、その人がしっかり立つことができる拠り所を与えるのです。  

   慰めるとは、自分自身に閉じこもっている人、困難がその人の口も心も閉ざしてしまった人と共にいるということです。人と共にいるということは、その人の痛みを分かち合い、その人に寄り添い、その人の痛みの中に留まるということです。その人の暗闇、葛藤、苦しみという家に留まり、そこにじっとしている必要があります。」 

             A.・グリユーン、「50の天使。1年の歩みのために」、

                 キリスト新聞社、2007、180~83項からの抜粋

f:id:nipponblog:20161209174810j:plain