「完成するため」

 福音朗読は  Laudate | 教会カレンダー  (マタイ5章7~37節)

    イエス様はどのように旧約聖書の教えを完成させたのでしょうか。律法の文字に縛られるのではなく、本来の意図すなわち神の望みは何であったのかという点にさかのぼって律法を再解釈しました。それは、律法学者とファリサイ派の律法の解釈と対立するものでした。しかし、イエス様は新しい律法を作ったのではなく、律法に込められている神の本来の意図をもう一度呼び起こすことによって、律法を完成されたのです。

  イエス様は「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためではなく、完成するためである」と宣言しました。「完成すること」は、律法によって神の本来の望みを思い起こさせ、再確認するという意味です。一つ例を挙げてみましょう。「殺すな」という掟があります。イエス様は、この掟に込められた神の本来の意図を表現しました。「殺すな」とは、銃や刃物で殺すことだけではなく、神から与えられたいのちを軽んじることや神の似姿として作られた人格を傷つけることも、「殺すな」の掟に含まれているとイエス様は訴えているのです。

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