「聖書に登場するシンボル」『数字』 八

   「八」は新しいスタートを意味する数です。創世記21・4によると、アブラハムはサラが産んだ自分の息子をイサクと名付け、神が命じられたとおり八日目に割礼を施しました。そのため、すべてのイスラエルの男の子は、誕生八日目に割礼を受けるようになりました。イエスも誕生して八日たって割礼を受け、(ルカ2・21)新しい人生を始めました。イエスは、週の八日目の日曜の朝に復活されました。八日目こそ、イエスを通して神と結ばれる人間の、新世代の始まりなのです。

      山上の説教で神の国の新しい精神を宣言した「幸い」の数は八つで、「真福八端」としも知られています(マタイ5・1~11)。八の数はキリスト教建築にも生かされているがとりわけ、新しい命を授ける式が行われる洗礼堂は八角形をしていることが多い。なお、「九」という数字は聖書の中では特に意味はありません。

 M.クリスチャン 『聖書のシンボル50』オリエンス宗教研究所 参照。

***写真は高木淳さんの提供。アルバムのリンク先は

https://www.facebook.com/100003853247773/posts/1265949376876825/

「聖書に登場するシンボル」『数字』 七

 「七」は 聖書の中で一番大切な数で、完成を表しています。聖書の書かれた時代には。地球を中心に惑星が七つあると考えられていました。太陽も月も、もちろん惑星の一つと思われ、惑星の名前がそのまま日、月、火、水、木、金、土と曜日の呼び名に残りました。色は、虹の七色が基本になっていますし、西洋学でも音階は7つの音から成り立っています。

  聖書で「七」が使われている箇所は数え切れません。例えば神が天地万物を創造され、仕事を離れて祝福されたのが第七の日(創世記2・3)であったため、イスラエルは一週間を七日と定めました。新約聖書でも、マルコ8・5~10にはイエスが七つのパンを裂き、群衆を食べさせて、なおパン屑が七籠残ったという話もあります。また、ペトロが「兄弟がわたしに罪を犯したら七回までゆるすべきでしょうか」とイエスに尋ねるとイエスは七の七十倍までもゆるしなさい」と答えています(マタイ18・21~22)。

  現代の教会でも、七つの罪源(高慢、妬み、憤怒、物欲、色欲、貪欲、惰性)や聖霊の七つの贈物(上智、聡明、賢慮、勇気、知識、孝愛、畏敬)、七つの秘跡(洗礼、堅信、聖体、ゆるし、病者の塗油、叙階、婚姻)など「七」は重要な数字とされています。日本では1月7日には春の七草を入れたお粥を食べる習慣が今も残っています。

 M.クリスチャン 『聖書のシンボル50』オリエンス宗教研究所 参照。

***写真は高木淳さんの提供。アルバムのリンク先

https://www.facebook.com/atsushi.takaki.31/media_set?set=a.1261179027353860&type=1&l=5a3a90632b

 

f:id:nipponblog:20190131175045j:plain

 

聖書に登場するシンボル」 『数字』 六

   「七」(次回)は完成を意味している数ですから、「六」は一つ足りないという意味になります。世界は六日間で創造されたが、この完全な業をなし終えた創造主は、さらに第七の日を加え、この日を聖別した(創世記2・1‐3)。このように、最初の六日から第七の日を区別して、神を賛美する日とされました。

     ヨハネの黙示録13・18に「ここに知恵が必要である。賢い人は、獣の数字にどのような意味があるかを考えるがよい。数字は人間を指している。そして、数字は六百六十六である」とあります。この六六六は人間の誰を指しているのでしょうか。六六六は反キリスト、すなわちキリスト教徒の敵を指していると言われてきました。最有力候補者はローマを襲った大火事の原因を「キリスト教徒のせい」と決めつけて弾圧と迫害した皇帝ネロという説です。

    ギリシャ語とヘブライ語には数字がなく、アルファベットで数を表していました。ヘブライ語でネロの名前を数えると六六六(666)になるそうです。悪い数である六を六六六と三回、つまり完全に重ねることによって、一番悪い反キリストと言い表したものかもしれません。

M.クリスチャン 『聖書のシンボル50』オリエンス宗教研究所 参照。
***写真は高木淳さんの提供。アルバムのリンク先
https://www.facebook.com/100003853247773/posts/1256189211186175/

f:id:nipponblog:20190124103338j:plain

 

聖書に登場するシンボル」『数字』 五

  「五」という数字は聖書によく使わされている数なのですが、その由来は専門家にもはっきり分かりません。モーセの五書(創世記、出エジプト記レビ記民数記申命記)は旧約聖書の一番大切な部分です。神がモーセ十戒を与えた時、石の板を二枚に切らせ、その二枚の石板に十戒を記されました。一枚ずつに五つの掟が書かれているはずです。

    新約聖書ではマルコ6・38‐44にイエスは五つのパンで五千人を養ったという有名な話が載っています。マタイ25・1~13にも五人の賢い乙女はともし火の油の用意をして花婿の来るのを持ったが、油の用意を怠った五人の愚かな乙女たちは婚宴の席から締め出されたというたとえば話があります。

    十の半分が五だからと、人の手と足には5つずつ指がついているということを人間が認識したことと何か深い関係があるかもしれません。

 

M.クリスチャン 『聖書のシンボル50』オリエンス宗教研究所 参照。

***写真は高木淳さんの提供。アルバムのリンク先

 https://www.facebook.com/atsushi.takaki.31/media_set?set=a.1247011118770651&type=1&l=c6a9f5de30

 

f:id:nipponblog:20190117192816j:plain

 

「聖書に登場するシンボル」  『数字』 四

  四という数字は死に通じる発音から、縁起の悪い数として日本の病院などでは敬遠されてきました。しかし、ほとんどの文化で、四は「自然」を表す数とされています。昔から人々は四方のあることに気づきましたし、地球の温帯地域には四季があります。ギリシャの哲学者はすべてのものは土、水、火、風の四大元素から成ると教えました。

   マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四つ福音書は世界の四方にイエスのメッセージを伝える四つの福音の書です。黙示録4章7節に出てくる四つの生き物は、一人ひとりの福音記者のシンボルとなりました。

「マタイ」のシンボルは人間または人間の頭です。マタイによる福音書がイエスは人の子であるという系図からはじめっているからです。

「マルコ」のシンボルはライオンです。マルコによる福音書が荒れ野における洗礼者の宣教から始まるからで、荒れ野の王と言えば、それはライオンです。

「ルカ」のシンボルは雄牛です。ルカによる福音書が祭司ザカリアは主の至聖所に入って香をたく場面から始まるからで、牛は祭壇で焼く捧げものを意味しています。

ヨハネ」のシンボルは鷲です。ヨハネによる福音書の最初の言葉はあたかも鷲が空高くはばたくようにヨハネによる福音書は天の神のみもとから始まるからです。

 

M.クリスチャン 『聖書のシンボル50』オリエンス宗教研究所 参照。

***写真は高木淳さんの提供。アルバムのリンク先

https://www.facebook.com/media/set/?set=a.1246023118869451&type=1&l=65d7a7d399

f:id:nipponblog:20190110184812j:plain

 

聖書に登場するシンボル」『数字』 一 二 三

 『1』
「一」という数字は特に唯一の神を指しています。申命記6・4に「聞け、イスラエルよ、我らの神、主は唯一の主である」とあります。すべてのものの元は。一つでした。ですから一は「一致」を表します。

 『2』
しかし、人間の罪の結果、「一」は壊されました。善と悪、男と女、命と死など、なんでも二つになって、この世に分裂が生じました。「二」は分裂を意味します。元の「一」を取り戻すのが救いを目的でもあります。

 『3』
「三」によって二元性、相対性が解釈されます。また、物と時の、初め、真ん中、終わりを表しています。

聖書の中で三つという数字は「神の世界を表しています」。「聖なる、聖なる、聖なる万軍の主」(イザヤ6・3)と天使は三回繰り返します。ノアの息子は三人でセム、ハム、ヤフェト。三人の大祖がアブラハム、イサク、ヤコブ。三位一体のほかにイエスが三回の誘惑を受けたり、三日間墓の中におられたりしています。
典礼の中でも、三回繰り返すのは常のごとくで、あわれみの賛歌、感謝の賛歌、平和の賛歌などは三回歌われています。日本でも「三度目の正直」という諺もあります。

M.クリスチャン 『聖書のシンボル50』オリエンス宗教研究所 参照。
***写真は高木淳さんの提供。
アルバムのリンク先 ->

https://www.facebook.com/atsushi.takaki.31/media_set?set=a.1240048389466924&type=1&l=62945584fb

f:id:nipponblog:20190103165837j:plain

 

新春のご挨拶

FBを通してつながっている皆さまへ

 あけましておめでとうございます。

 

昨年も愛読していただき、心から感謝いたします。

 次回より、聖書に登場する記号、動物、ものなどについて紹介していきたいと考えています。文学と映画の世界、または教会訪問先で遭遇するもので、その意味を理解するとさらに豊かな出会いになるではないかと期待しています。

 

今年もよろしくお願いします。