証しする

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   日本語では「証しする」という言葉は、「証言する・証人となる」と意味です。それは、単に言葉で自分の考えを述べるということではありません。ある事件の証人とは、その出来事を確かに見たり経験したりした人を意味します。自分が「見たこと・経験したことを語る」のが「証言する」ということなのです。洗礼者ヨハネは、何らかの仕方で神から「後から来られる方」を示されたからこそ、その方について証言したのでしょう。

   「わたしはこのような体験の中でイエス様を知った。イエス様の愛を感じた」というような言葉には力があります。しかし、最も力強いのは、イエスと出会って人が変えられた(救われた)ということが、その人の生き方の中に表れるときではないでしょうか。

   教会の「殉教者」という言葉の原語は、元々「証しする人」の意味でした。殉教者とは、言葉よりもその生涯と死を通して、キリストを証しした人々なのです。キリスト教は、難しい神学ではなく、言葉と生き方による「証し」によって受け継がれてきた、と言っても過言ではありません。私たちにとってイエス様を証しするとはどういうことでしょうか。                                                                    「福音のヒント」より

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