復活の曙光 (ヨハネ20章1~10節) 

   マグダラのマリアは墓に行ったが、石が取りのけてあるのを見た。何を見たのでしょうか。ほのかな希望すら与えなかった重い石が取りのけてあるのを見た。そして、イエスの遺体が見当たらないことによって、彼女の心の中に何かが起こっている。かすかな光、曙光が見える。今度は、マリアに告げられたペトロとヨハネも墓に走っていった。二人も、同じ空の墓に直面している。遺体が盗まれたのか。それとも、イエスは三回も受難と死と復活の予告をされたが、その通りだったのだろうか。かすかな光、曙光が見える。

   マグダラのマリア、ペトロ、ヨハネはそれぞれのイエスに対して自分でもっていた期待が本物かどうかを考え始めた。週の初めの日、復活の日、まだ暗いうちにかすかな光、曙光は見える。

   わたしたちも、神をはじめ、共同体のメンバー、そして、周りの人たちに対する、勝手な思い込みやあきらめの気持ちやねたみという重い石を取りのけましょう。復活の太陽の日差しの中で、神と隣人に対する新しい見方ができますように。

 

                                    主は復活された。アレルヤアレルヤ

 

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