「福音書を読み、イエスに親しむ」㉖ 名前で呼ばれること

  イエスが、「マリア」と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で、「ラボニ」と言った。(ヨハネ 20・16)

   

エスがマリアを名前で呼んだ時、誰もが知っている名を口にした以上の意味が込められています。彼女の全存在に呼びかけたのです。イエスはマリアを知っています。彼女のこれまでの歩みを知っています。すなわち、その罪と美徳、恐れと愛、苦闘と希望を知っています。心の隅々まで知っています。ですから、イエスからその名が発せられたことは、とても深遠な出来事なのです。マリアは、はっとして気づきます。自分を真に知っている存在が、自分を真に愛してくれている、と。

頭からいつも去らない思いがあります。それは最も深く隠し持っている私の考えや感情を含め、もし人が私の内のあらゆる部分を知ったとして、それでも本当に私を愛してくれるだろうか、時々疑います。わたしに注がれる愛は条件付きではないかと恐れています。しかし、イエスがマリアの名を呼んだ時、その全存在に呼びかけました。自分を最も深く知っているお方は、遠ざかるのではなく、近づいてきて、無条件の愛を差し出すお方なのだ、と。「明日への道」H.ナウエン

写真は高木淳司の提供で、「カトリック健軍教会(熊本市)」アルバム

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