つまずきながらも (ヨハネ6章60~69節)

福音朗読は Laudate | 教会カレンダー

   私たちは、自分の願いを全て叶えてくれるイエス様が最も好きかもしれません。しかし、今日の福音箇所での「ひどい話をするイエス様」はいかがでしょうか。66節に「このために、弟子たちの多くが離れ去り、もはやイエスと共に歩まなくなった」とありますが、「このため」とは、命のパンの話をはじめ、イエス様がこれまで説いてきた福音を聞いて「つまずいたため」という意味なのです。

    そもそも「つまずく」ということは、通常の歩行がある物によって妨げられるという物理的な意味です。更に、非常識な考えや物事が原因で「つまずく」すなわち「挫折する」という精神的な意味も持ち合わせています。

    イエス様の福音のメッセージに「つまずかない」キリスト者はいないはずです。なぜなら、福音の精神と実践は、私たちの常識を超えたものだからです。キリスト者にとっては、イエス様の呼びかけに応えて生きて行くという重大な決断を表します。しかし、それは一回限りの選択ではありません。私たちは人生を生きる上で、出会いや経験といった出来事を通して、イエス様に従うか離れるかという決断を頻繁に更新しているのです。

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