人生に隠された宝

  福音朗読は Laudate | 教会カレンダー  (マタイ13章44~52節)

    福音書にある最初の二つのたとえ話に、「すっかり売り払い」という表現が出てきますが、これはよく誤解される表現です。宝を手に入れるという前提で「売り払う」のではありません。福音書に登場する人物は、宝に偶然遭遇し、その価値に気づいたため、持ち物を売り払うことにしたのです。

   人生における根本的な選択から日常生活での思いがけない出会い、そして突然の出来事は、偶然ではなかったことに後々気づくことがあります。それは毎日のように経験することではないでしょうか。様々な物事に捕らわれて、人生という畑に隠れている宝、すなわち信仰を見逃してしまうこともあるのではないでしょうか。

   日常生活の営みに妨げられた信仰について、神秘主義者のマイスター・エックハルトは、「名匠が木や石で像を造るとき、像を木の中に刻み入れるのではなく、像を覆い隠している木屑を切り除くのである。木に何かを与えるのではなく、何かを取り除き、覆いを取り、さびを取り除くと、その下に隠されているものが輝き出るのである。これは、福音書の中で、主が畑に隠された宝といったものである。」と述べています。私たちは、あれもこれも追い求めたり、また追われたりしがちです。その中から本当に大切なものを見つけてみませんか。

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