「幸いである」(マタイ5・3)
「このように極端な宣言は、本当に実現できるのでしょうか」という否定的な考えかたをしている信者は少なくないと思います。しかし、忘れてならないことは、イエスが自分自身を通してすでにこの「幸い」の宣言を実現したことです。イエスの宣教活動と生き方、そして最期によって、神の国の到来と実現のもたらす変化が示されていきます。「幸い」は将来に待っている報いではなく、すでに働いている神の国の力という確信に基づいて生き、また生かされたのです。
写真は高木淳さんの提供で「2018年11月3日 神学院祭」アルバム
https://www.facebook.com/atsushi.takaki.31/posts/1824094304395660