今週もみことばとともに A年

(52) 今週もみことばとともに(王であるキリスト)

「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは」(マタイ25・40) 「チャリティー」という聞きなれた言葉には、慈善の業があります。キリスト教では、初期の頃からその精神を実践してきました。それは身体的・精神的に困っている人々を助ける行為な…

(51) 今週もみことばとともに(年間第33主日)

『恐ろしくなり、出かけて行って、あなたのタラントンを地の中に隠しておきました。御覧ください。これがあなたのお金です。』(マタイ25・25) 「タラントン」は通貨の単位で、1タラントンは数千デナリウスでした。1デナリウスが1日の賃金とされるので、今…

㊿ 今週もみことばとともに(年間第32主日)

「皆眠気がさして眠り込んでしまった。」(マタイ25・5) 生きるためには、「人生の生きがい」というガソリンが必要です。最初は満タンでも、生きている間に、知らず知らずのうちに少しずつ減っていきます。人生にはさまざまな迷いや紆余曲折がありますが、…

㊾  今週もみことばとともに(諸聖人)

「幸いである」(マタイ5・3) 「このように極端な宣言は、本当に実現できるのでしょうか」という否定的な考えかたをしている信者は少なくないと思います。しかし、忘れてならないことは、イエスが自分自身を通してすでにこの「幸い」の宣言を実現したことで…

㊽ 今週もみことばとともに(年間第30主日)

「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして」(マタイ22・37) 愛の掟を口先ではなく実践しようとすると、心も精神も思いも関わることになります。日常生活おいて、「愛する」掟は挨拶や笑顔、心配りや相手を大切にすることを通して実現されます。形あるも…

㊼ 今週もみことばとともに(年間第29主日)

「では、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」(マタイ22・21) 銀貨には皇帝の像が刻まれていたので、皇帝のものと考えられていました。しかしイエスが「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に」と付け加えることによって、もっと根本的な問いに…

㊻ 今週もみことばとともに(年間第28主日)

「婚礼の礼服を着ていない者が一人いた。」(マタイ22・11) 制服が会社や学校によって違うのは、それぞれの会社あるいは学校に属するということを意味します。つまり、所属している場所での役割を果たすことを期待されているということです。洗礼によってキ…

㊺ 今週もみことばとともに(年間第27主日)A

「祭司長たちやファリサイ派の人々はこのたとえを聞いて、イエスが自分たちのことを言っておられると気づき」(マタイ21・45) たとえ話は、聞き手を話に引き込み参加させるものです。点火すると、ゆっくりと燃えながら煙を出す導火線のようなものです。これ…

㊹ 今週もみことばとともに(年間第26主日)

「兄は『いやです』と答えたが、後で考え直して出かけた。」(マタイ21・29) 私たちは、お互いが発信する言葉と態度によって、どのように行動するのかを判断しています。口頭では「はい」と答えても、心が伴っていない場合があります。また、周りからのプレ…

㊸ 今週もみことばとともに(年間第25主日)

「主人は、一日につき一デナリオンの約束で、労働者をぶどう園に送った。」(マタイ20・2) たとえ話は、当時の日常生活の場面を例に挙げ、天の国のまなざしについて紹介しています。現在と違い、当時は日雇い制度が当たり前だったので、「一日につき一デナ…

㊷ 今週もみことばとともに 年間第24主日

ある王が、家来たちに貸した金の決済をしようとした。(マタイ18・23) 私たちは様々な人に、「借金」を重ねて生きていると言っても過言ではあるません。この世に生まれて今で、両親をはじめ、家族、友人など、多くの方々と関わり、大変お世話になって生きて…

㊶ 今週もみことばとともに 年間第23主日

「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」 マタイ18・20 通常、皆さんは「教会」と聞けば、「〇〇(地名)教会」と書かれた建物を思い浮かべるのではないでしょうか。しかも、漢字を見ると「教えの会」のよ…

㊵ 今週もみことばとともに(年間第22主日)

「わたしについて来たい者は、自分を捨て、 自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」(マタイ16・24) イエスに従うことは、ただ単にイエスのことばに従うだけではなく、イエスから離れず従い続けることも意味します。受けた洗礼は、どんなに感動的…

㊴ 今週もみことばとともに 年間第21主日

イエスが言われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」(マタイ16・15) 相手を大切にしていることの要因として、夫婦や親しい友人の生年月日や学歴、そして好きな音楽など表面的なものだけではありません。互いに関わったからこそ、相手…

㊳ 今週もみことばとともに(年間第20主日)

女は言った。「主よ、ごもっともです。しかし、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです。」(マタイ15・27) 今回の登場人物は、女性でありながらイエスに大胆にも挑戦しています。男性優位社会の時代であり、また、異邦人でありながら願いを求め…

㊲ 今週もみことばとともに  年間第19主日

イエスはすぐに手を伸ばして捕まえた (マタイ14・31) 信頼は人生の基盤です。信頼なくして人間は生きて行くことが出来ません。サーカスの空中ブランコが、信頼のすばらしい例を示してくれます。わたしたちの人生の多くは、ブランコを飛び移るようなもので…

㊱ 今週もみことばとともに 年間第18主日

イエスは言われた。「行かせることはない。あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい。」(マタイ14・16) わたしたちが奇跡を求めるとき、イエスに向かって、それを実現していただくように、一所懸命祈ります。しかし、イエスは「任され屋さん」ではなく、「…

㉟ 今週もみことばとともに 年間第17主日

「持ち物をすっかり売り払って」マタイ13・44 畑に隠れた宝を手に入れるという前提で「売り払う」のではありません。登場する人物は、宝に偶然遭遇し、その価値に気づいたため、持ち物を売り払うことにしたのです。人生における根本的な選択から日常生活での…

㉞ 今週もみことばとともに 年間第16主日

『毒麦を集めるとき、麦まで一緒に抜くかもしれない。刈り入れまで、両方とも育つままにしておきなさい。』マタイ13・29 芸術家は重く固い大理石から気高い彫刻を彫ります。また、何も描かれていない一枚の紙に、美しい絵を描き出すでしょう。同様に、イエス…

㉝ 今週もみことばとともに 年間第15主日

「蒔いている間に」マタイ13・4 人生は土壌のようなもので、様々な出来事が種として蒔かれています。嬉しい時もあれば、辛い時もあり、思いがけない出来事もあれば、待ちに待った出会いもあることでしょう。これまで経験してきたすべてから逃げたり、その出…

㉜ 今週もみことばとともに 年間第14主日 

「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」(マタイ11・28) 人生の旅の途上で、わたしたちは複雑な人間関係に疲れているかもしれません。理解してもらえることが少ない反面、誤解されることは多く、傷ついて疲れて…

㉛ 今週もみことばとともに 年間第13主日 

「わたしの弟子だという理由で、この小さな者の一人に、冷たい水一杯でも飲ませてくれる人は、必ずその報いを受ける。」(マタイ10・42) 暑い季節に、頼まれなくても冷たい水を自ら進んで一杯飲ませてあげることは、ごく普通のことであり大したことではあり…

㉛ 年間第12主日

「あなたの髪の毛まで、一本残らず数えられています。」(マタイ10・30) この言葉から、わたしたちの「わずかなこと」でさえも、神様がご存知である、ということが分かります。それぐらい、神様はわたしたちのことを大切にしてくださっているのです。さらに、…

㉚ キリストの聖体 

「わたしを食べる者もわたしによって生きる。」(ヨハネ6・57 ) 食べることは、呼吸することと同じように、生きていくために必要なことです。しかし、人間として生きるためには、それだけでは足りません。わたしたち人間は、価値のあるものや生きる喜び、…

㉙ 今週もみことばとともに 三位一体

神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。(ヨハネ3・16) 三位一体は、愛の絆による父と独り子と聖霊の相互の交わりです。愛は二者から始まりますが、まだ足りません。他の人に対して、互いだけを見つめて自分たちを閉ざすなら、やがてその…

㉘ 今週もみことばとともに 聖霊降臨

彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。」(ヨハネ20・22) 風そのものを見ることはできませんが、風に動かされて空を舞っているこいのぼりは見ることができます。イエスは弟子たちに丁寧に息を吹きかけています。注がれる命の息は、弟子たちに…

㉗ 今週もみことばとともに(主の昇天)

「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」(マタイ28・20) 一「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」(マタイ28・20)般的に宗教というものは、死後の世界で受け入れられるための役割のみを果たすと考えられがちです。…

㉖ 今週もみことばとともに(復活節第6主日)

「わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。」(ヨハネ14・16) 私たち一人ひとりは、聖霊によって復活されたイエスとのつながりと交わりを体験します。聖霊の働きは、私たちのそばにいて支え…

㉕ 今週もみことばとともに(復活節第5主日) 

「わたしを見た者は、父を見たのだ」(ヨハネ14・9) キリストが神の啓示であるように、キリスト者はキリストの啓示だと言って過言ではありません。世界に広がる様々な共同体のなかで助け合う信者を見ることは、目で見えない神の愛の写しを見ることです。キ…

㉒ 今週もみことばとともに 復活節第2主日

「見ないのに信じる人は、幸いである。」(ヨハネ20・29) 疑い深いトマスが復活したイエスの傷跡に指を入れたことに対して、どのように思ったことがあるでしょうか。イエスは「見ないのに信じる人は、幸いである。」と宣言します。このことばは、まさに私た…