「今日」というチャンス 63 イエスの福音をあなたにお伝えします。

「悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。」(マタイ5・4)

なぜ、悲しさは「幸い」だと宣言されていますか。それは、悲しんでいるからではなく、置かれている悲しい状況は神によって変えられるという出来事を読み解いているからです。「慰められる」聖書では受け身で使われる動詞は神が主語であることを指しています。悲しむ人は将来に慰められるという時間的な見方ではなく、神によって慰められるという、現状が逆転される行為が主張されているのです。   

写真は高木淳司さんの提供で、「ミサゴ」アルバムから

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