弟子たちがイエスに尋ねた。「ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか。」イエスはお答えになった。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである (ヨハネ9・2^3)
自分自身の現状に対する「わたしは駄目だ」という決めつけは足かせのようなもので、人生の歩みを妨げているかもしれません。しかし、わたしたちの現在は神の創造力を信じることによって新しいスタートがいつでも可能です。現在はこれから先の人生の道を歩んでいくために、トランポリン、踏み板のような機会と環境です。その変化、新たな命をもたらすのは神の不思議なわざ、その創造の力と恵みなのです。
写真は高木淳司さんの提供で「てんとう虫」アルバム