イエスは、そこから彼らをベタニアの辺りまで連れて行き、手を上げて祝福された。(ルカ24・50)
自分自身を呪われた生活をおくっているもののように考えてしまうことは、絶え間なく起こってくる誘惑です。友だちを失うこと、病気、事故、自然災害、ちょっとした失敗、こうしたもののために、私たちは自分がダメで、罰があたったんだと考えがちです。
しかし、イエスは私たちを祝福するために来ました。私たちはその祝福を自分のものとして受けいれ、それを他の人々に伝えてゆくことが大切です。祝福は、常に私たちの前に置かれているのです。
写真は高木淳司さんの提供で「カトリック島崎教会の薔薇 祈り」 アルバム