聖書に登場するシンボル 「雲」

   どの民族も、山の上には神々が住んでいると思っていました。昔からお寺や神社や修道院などは山の上に建てる慣わしがありました。山は天に住む神に一番近いところにあり、一方で世俗から一番遠いところにあるからでしょう。

    ところが高い山はしばしば雲に覆われるので、神は雲の中に隠れているという信仰が生まれてきました。モーセが神から十戒を受けられたシナイ山がよい例で、「三日目の朝になると、雷鳴と稲妻と厚い雲が山に臨み、角笛の音が鋭く鳴り響いたので、宿営にいた民は皆、震えた」(出エジプト記19・16)とあります。雲はまた、『神の臨在』を表しています。特に、出エジプトに際しては、昼は雲の柱になって彼らを導き、夜は火の柱をもって彼らを照らされたので、彼らは昼も夜も進行することができたことを、出エジプト記13・21は記しています。

   新約聖書でも雲は神の臨在の「しるし」です。イエスの変容の時、「ペトロがこう話しているうちに、光り輝く雲が彼らを覆った。すると、『これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け』という声が雲の中から聞こえた」(マタイ17・5)とあり、昇天の時も、

「イエスは彼らが見ているうちに天に上げられたが、雲に覆われて彼らの目から見えなくなった」(使徒言行録1・9)とあります。

 

マンフレート(著)/池田 紘一(訳)『聖書象徴辞典』人文書院 参照。***写真は衣笠茸(キヌガサダケ)で、高木淳司さんの提供。アルバムのリンク先 

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