ウィルスの影響により、不安と混乱を抱きながら暮らしているわたしたちへ

 

  マリアよ、あなたを包む沈黙から、私たちにさらに何を語りかけられるのですか。あなたがささやくかのように、おん子の言葉を繰り返しておられるのを感じます。「忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい」(ルカ19・21)。「忍耐」という表現は、「堅忍」ともいかえることができます。忍耐と堅忍は、待望する人、まだ見ぬものを希望し統ける人の徳です。

  マリアよ、あなたは期待し、希望することを学ばれました。あなたは、天使から告知されたおん子の誕生を信頼のうちに待たれました。何も起こらない長い期間を、大天使ガブリェルの言葉を信じ続けて堅忍されました。十字架のもとで、墓の傍らで、希望するすべもなかったときに、なおも望みを抱かれました。道を見失い、失望した弟子たちに希望を注ぎながら、聖土曜日を生きられました。あなたは彼らのために、また私たちのために、希望の慰め、「心の慰め」という恵みをくださいます。

  イエスの不在の、また弟子たちの離散の聖土曜日に、神があなたをお支えになった慰めは、気づくことさえ必要がないほどの深い内面で働いた力です。この力の存在と効果は、その実によって、その霊的豊じょうさによって推し量られるものでした。おお、マリアよ、今ここにいる私たちは、あなたの苦しみから生まれた子供です。つらい瞬間に私たちを支えるこの力の感知は、たとえこれを実感しなくても、また所有していないように思えても、私たちだれしもが生きてきた共通の経験にほかなりません。神からも、人からも、見捨てられたと思えるときがあっても、結局あとで振り返ってみると、主が、私たちと共に歩まれ、私たちをみ腕に抱き続けられていたことに気づくのです。

 C.M.マルティーニ著 『聖土曜日の聖母』(サンパウロ 2003年)

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