イエスの心に触れる [わたし たちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします」⑥ 

天におられるわたしたちの父よ、み名が聖とされますように。み国が来ますように。みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。わたしたちの日ごとの糧を今日も お与えください。わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください。 アーメン。

 

   わたしたちが互いにゆるしあったから、その報いとして神が私たちの罪をゆるしてくださるように、という祈りのように勘違いしてしまいます。また私たちが何かよいことをしたから、その報いとして神が恵みをくださるという願いではありません。むしろ先に神のゆるしがあって、そのゆるしというものに生かされた人間がはじめて互いにゆるしあうことができるようになります。私たちが互いの罪をゆるしあうとき、あなたのゆるしがそこに実現されますように、そのゆるし合いの中に、あなたのゆるしが証しされますようにという祈りなのです。

  「ゆるす」は運動の動詞で、ある所から別の所へということです。例えば弓を射ること、出港すること、これから始めようとしていること。ゆるすことは、解放させることで、新たな出発ができる。ゆるすことは過去のことを忘れると同時に将来に向かって希望と信頼を与えることです。イエスにとって目の前に立っている人は過去に犯した罪より、これから良い事を行える可能性があるということがもっと大事ですから。

拙著「日々の暮らしの中で」。写真は高木淳司さんの提供で、「池山水源」 アルバム

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