「わたしの弟子だという理由で、この小さな者の一人に、冷たい水一杯でも飲ませてくれる人は、必ずその報いを受ける。」(マタイ10・42)
暑い季節に、頼まれなくても冷たい水を自ら進んで一杯飲ませてあげることは、ごく普通のことであり大したことではありません。しかし、イエスにふさわしい弟子、つまりキリスト者としてふさわしい行いをすることは難しいです。なぜなら、それはイエスに祈ることではなく、イエスのようにふるまうことを意味するからです。そして、イエスのようにふるまい、他者を気遣おうとする心構えは、冷たい水一杯を通して表されるのです。
写真は高木淳司さんの提供で、「ホオジロの抱卵」アルバムから
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